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2024年11月08日
平和「福岡大空襲の戦跡をめぐる街歩き」を開催しました
開催日/2024年10月28日
2024年10月28日、福岡県福岡市中洲川端周辺にて、「福岡大空襲の戦跡をめぐる街歩き」企画を、PP21ふくおか自由学校会員の江浜明徳さんを講師に迎えて開催し、計24名が参加しました。
1945年6月19日午後11時過ぎ、福岡市上空に米軍のB29爆撃機が飛来して都心部を中心に焼夷弾を投下。福岡市街地は広範囲にわたって炎上し、死傷者・行方不明者は2千名を超え、1万2千戸超が消失しました。戦後79年がたち、慰霊祭が縮小されたり、再開発などで空襲の痕跡が移転したりと、戦争の記録や記憶が風化しつつあります。
今回の企画では、冷泉公園戦災記念碑→旧十五銀行福岡支店跡(現博多座)→戦災地蔵→空爆中心地→博多小学校を講師の江浜さんの解説をお聞きしながらめぐり、立石ガクブチ店では店主の立石武泰さんより、家の中の防空壕や、空襲当時のお話などをお聞きしました。
現在の「博多座」の場所にあった「旧十五銀行福岡支店」の地下室は、指定避難場所として空襲当時多くの方が避難していましたが、空襲による火災で高温になるなどして63名の方が犠牲となりました。このように大きな被害が出た事実があるにもかかわらず、現在の博多座周辺には看板など記憶を残すものは何も設置されていないことなどの説明を受けました。
今も博多の街に残る「戦災地蔵」は、空襲により犠牲となった方たちの慰霊のために、地元の人々により設置されたそうです。戦争地蔵はビルの谷間にひっそりとたたずんでおり、よくこのエリアを歩いていたという方でも知らなかったという方も多いようです。現在でも地元の方たちの手により大切に守られていますが、一部は土地開発などにより移転したり、なくなったりという現状もあるとのことでした。
また、立石ガクブチ店では、家の中に作られた地下防空壕や、空襲当時のお話などをお聞きしました。防空壕は一見すぐに逃げ込むことができるように思いますが、実際は空襲の火災により家屋が倒壊して生き埋めになり犠牲となった方が数多くいらっしゃったことや、空襲は博多地区最大の繁華街で人口密集地区が狙われた民間人を標的とした都市無差別爆撃だったことなどの説明を受けました。
参加者からは、福岡大空襲について「今まであまり知らなかった」「こんなに身近なところに戦跡があることを知らなかった、子どもとも一緒にまわり戦争の怖さ、平和の大切さを伝えていきたい」などの声が寄せられました。エフコープでは今後も平和のとりくみを続けていきます。
参加者の声(一部抜粋)
- 今は華やかな博多座がある場所に昔は十五銀行福岡支店があったそうだが、悲惨なことがあったという跡や看板などが残ってないのは悲しいことだと思いました。
- ビルの合間にある戦災地蔵は地域の方々に守られていると知りましたが、土地開発のために戦跡が消えていっているという現実も学びました。
- 身近な場所に貴重な戦跡があるのに、知らない人が多いのは残念でなりません。無駄な戦争を起こさないためにも、たくさんの人に知ってもらい、戦争のない世の中にしていけたらと思います。
- 母が奈良屋校区に住んでいた(須崎の問屋街)時に福岡大空襲に遭い、炎の中を家族散り散りになりながら逃げまどった話を小さい頃から聞いていたので、実際の戦跡を歩く良い機会をいただき感謝します。
- 立石ガクブチ店の家の中の防空壕について、爆撃が起きてもすぐに地下に隠れられると思っていましたが、実際には家が焼け落ちて生き埋めになる安全無視の危険なものだと知り、こんな危険な防空壕を作らせた当時の軍部には憤りを感じました。
- こんなに身近に戦跡があるとは思いませんでした。日曜や夏休みなど子どもも参加できたら良いです。
- 戦跡はずっと当たり前にあるものではなく、いつの間にか、移転なども含め、なくなっていることもあるということが、少し衝撃でした。やはり、地域で守ってくれている人がいる(お世話をしてくれている人がいる)、守ってくれるお寺などがあることのありがたさを感じるととともに、その思いがなくなると、平和を考える機会も減ってしまうように思いました。
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