放送)で玉音盤(天皇の声を録音したレコード盤)により放送された。天皇の声が電波に乗って正式に放送されたのは、玉音盤によるものが最初。魚形水雷の略。水中を高速移動し、衝突・爆発によって艦船などを破壊する兵器。日本が世界で初めて開発に成功した九三式酸素魚雷は、それまでより高速・長射程で、最大の特徴は雷跡(魚雷の航跡)が目立たないことだった。戦局の悪化とともに兵器の材料となる金属が不足したため、昭和十六(一九四一)年の国家総動員法にもとづく金属類回収令により、公共機関の金属製品の回収と同時に、民間工場や一般家庭からも金属製品の提供運動が行われた。戦争が長期化するにつれ、軍需産業は拡大し、労働力が必要となった。このため老人や徴兵年令に満たない学生、女子学生までもが徴用隊として軍需工場にかり出された。青壮年男子の徴兵により、すべての産業で労働力不足となった。昭和十六(一九四一)年八月、文部省は学校報国団の編成を指示し、各学校ごとに学校長を団長とする報国団を結成させた。この報国団が軍需産業に労働力として送り込まれた。十一月の国民勤労報国協力令公布により、十四〜四〇歳の男子、十四〜二五歳の未婚の女子による国民勤労報国隊(通称挺身隊)が組織された。さらに昭和十九年八月には「学徒勤労令」、「女子挺身勤労令」が公布され学徒や女子の学徒勤労動員が強化された。爆撃機の飛行コースや高度によって空襲が予想される地域にサイレンやラジオなどで伝達される警報のこと。昭和十二年の防空法施行令で空襲警報の基本規定が置かれ、「航空機ノ来襲ノオソレアル場合」に発令される「警危険アル場合」に発令される「空襲警報」の(キノコ雲)の熱気は上空で冷やされ、雨とききゃはん巻ま脚絆のこと。活動時に動きやすくするため、二段階で警報が発せられ、「防空警報」と総称した。原爆の炸裂後に降った粘り気のある、真っ黒で大粒の雨のこと。低高度で炸裂した原爆により発生した原子雲なった。この雨は大量の粉塵(放射性降下物)を含んでおり、雨を浴びた者を被曝させ、土壌や建築物および河川などを放射能で汚染した。中学校や青年学校などの学生に対し、銃の操作や行進など、兵士としての基礎訓練から、実戦さながらの訓練までを行うこと。明治時代から兵式体操という名で学校教育に組み込まれていたが、昭和に入ると陸軍の現役将校が中等学校以上の学校に配属(配属将校)され、さらに指導が強化された。軍隊に勤務する軍人以外の民間人の総称。政務次官や書記官などの文官、技術者や設営隊員(土木作業員)、野戦郵便局員、事務員など。基本的にはその役割に応じて軍人の階級に準じた待遇であった。足のすねの部分をズボンの上から帯状の布で7 魚雷【ぎょらい】金属供出【きんぞくきょうしゅつ】勤労動員【きんろうどういん】や学徒動員によって、学徒報国隊・女子挺身勤労報国隊【きんろうほうこくたい】空襲警報【くうしゅうけいほう】戒警報」と、より切迫した「航空機ノ来襲ノ黒い雨【くろいあめ】軍事教練【ぐんじきょうれん】軍属【ぐんぞく】ゲートル学徒勤労動員(写真「21世紀への遺言-福岡市原爆被害者の会」より)
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