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(Atomic Bomb NRCが行うべきである」Casualty 戦時に軍隊の物資等の船舶輸送を指揮統率した船舶司令部が統括した陸軍の船舶部隊。兵団の符号「暁」から「暁部隊」と通称された。全国の軍港に配置され、各軍管区とは別に参謀本部の直接指揮下にあった。戦争末期になると一部は「マルレ」の秘匿名でよばれる特攻艇の基地となった。広島では宇品港に船舶練習部と司令部が置かれ、船舶通信部および通信練習部は市内中心部に近い比治山に配置されていた。原爆投下時には、爆心地から至近距離の中国軍管区司令部が壊滅したことにより、通信部を除いた部隊は事実上、広島における唯一の実働部隊となった。このため「広島警備本部」として市内の救援活動に従事し、部隊員の中から多くの二次被爆者を出すことになった。戦時中の物資配給制度のもとで、衣料を公正に分配する目的で官公庁が昭和十七(一九四二)年から発行した点数制による切符。戦争の激化により点数が減らされたうえ、現物はほとんど配給されないという状態となった。当時は軍需工場からの運搬に荷馬車を使用しCommission)の略NAS)━学術会議ていたため、長崎など軍需工場の多い所では、大量の馬や牛が動員されていた。原爆傷害調査委員会昭和二一(一九四六)年、「広島・長崎の原爆放射線被ばく者における放射線の医学的・生物学的晩発影響の長期的調査を米国学士院とするトルーマン米国大統領の命令で設立された。放射線の影響の調査研究に専念し、医療器具もスタッフもそろっている(ように見える)のに、治療をしないことで多くの被爆者が反感を持った。現在の放射線影響研究所の前身。召集の命令によって軍隊に入ること。海軍直営の軍需工場。艦船、航空機、各種兵器、弾薬などを開発・製造した。航空機の修理整備「空廠」、火薬製造・充填「火薬廠」、石炭採掘や石油精製「燃料廠」、軍服・保存食製造「衣糧廠」、医薬品・医療機器「療品廠」などがある。昭和十九(一九四四)年の閣議決定により全国十三の都市に住む児童を、八月から半強制的に地方へ疎開させた。田舎に親戚など縁故のある児童が、単身または家族と共に疎開する「縁故疎開」。学校や学年ごとに地方の旅館や寺に集団で疎開する「集団疎開」。病弱等で家庭を離れがたいため、親元に留まる「残留疎開」があった。当初三年生から六年生までが対象だったが、空襲の激化に伴い昭和二〇年三月からは一、二年生も疎開の対象となり、全国で合計百万人の児童が対象となった。航空母艦などの軍艦から発進する戦闘機や小型の爆撃機のこと。機関銃で前後・左右、一帯をつづけざまに撃つこと。機械水雷の略称。水中に敷設または放流して艦船を破壊する兵器。通過する船舶に接触したり磁気を感知して爆発する。B29や潜水艦によって日本列島周辺に約一万個が投下または敷設された。天皇の肉声(玉音)を放送すること。特に昭和二〇年八月十五日正午に、昭和天皇による終戦(ポツダム宣言受諾)の詔書の音読放送を指すことが多い。放送は当時、日本で唯一の放送局だった社団法人日本放送協会(現在のNHKラジオ第一 よく出てくる用語の説明 (() 6 暁部隊(陸軍船舶部隊)【あかつきぶたい(りくぐんせんぱくぶたい)】衣料切符【いりょうきっぷ】馬の死骸【うまのしがい】ABCC応召【おうしょう】海軍工廠【かいぐんこうしょう】学童疎開【がくどうそかい】艦載機【かんさいき】機銃掃射【きじゅうそうしゃ】機雷【きらい】玉音放送【ぎょくおんほうそう】

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