参考資料 つたえてくださいあしたへ・・・
12/18

制度の高等小学校、中学校、高等女学校、実業学校のはじめの三学年に相当する部分を吸収して修業年限三年の新制中学校が設置された。国民を軍隊にかり出すために行われた身体検査のこと。満二〇歳(一九四三年からは満十九歳)に達した男子は総べて受けなければならなかった。四月から七月に全国的に行われ、地域の集会所や小学校で検査が行われた。検査に合格した者は体格の程度に応じて甲種、乙(第一・第二)種、丙種、丁種、戌種とランク付けされた。徴兵検査で兵役に適すると判定された一部が、現役兵として翌年の一月十日に各連隊に入営し、他の大多数は補充兵(在郷軍人)として待機させられ、兵力が不足すると、「赤紙」と呼ばれた召集令状により、軍隊にかり出された。国家が国民や占領地住民に対して強制的に一定の業務につかせること。昭和十四(一九三九)年の国民徴用令によって戦争終結まで行われた。また施設や船舶等を徴発することも徴用という。旧制の国立総合大学。「帝大」と略称された。明治十(一八七七)年創立の東京大学が明治十九(一八八六)年の帝国大学令により帝国大学となり、明治三〇年の京都帝国大学の設立に伴い東京帝国大学と改称。以降、東北、九州、北海道、京城(現ソウル)、台北(現台北)、大阪、名古屋の各帝国大学(七帝大)が設けられた。修業期間は三年(医科は四年)。病人やけが人を運ぶために、はずして使った雨戸のこと。昭和十二(一九三七)年の防空法により、国民は灯火を制限する義務を負わされ、夜間の空襲の場合に目標とならないよう明りを消したり、光が外にもれないように黒い布で覆ったりしなければならなかった。国が生産者から安い金額で買取り、それを消費者である国民に均等に配布するという一種の社会主義のような経済(統制経済)の対象となった物品。昭和十四(一九四九)年十月に国家総動員法に基づく物価統制令が施行され、翌年に米、味噌、醤油、塩、砂糖、マッチなど十品目の配給制度が始った。太平洋戦争突入までの間に次々と拡充されていった。配給切符は一人あたり何点と決めて配布され、お金をいくら持っていても統制品は買えないため、ひそかに現金で取引する「闇市」が現れた。一九二〇年東洋コルク工業株式会社として広島に発足。後に東洋工業株式会社に改称し、三輪トラックの生産を開始した。一九三八年の「軍需工業動員法」の施行により陸海軍共同管理の軍需工場となった。爆心地から遠かったこともあって比較的被害が少なく、原子爆弾投下後は、臨時措置として広島県庁の全機構が設置され、戦後しばらくの間、県行政の中心となっていた。現在のMAZDA(マツダ)の前身。自らを犠牲とする「特別攻撃」の略称。太平洋戦争後期の消耗戦で悪化する戦況や戦果を一転させようと、苦肉の策として昭和十九年十月発動した体当たり攻撃作戦。飛行機に爆装して体当たりする「航空特攻」、特殊潜航艇や人間魚雷などの「海上特攻」などがあった。その代表が神風攻撃隊(神風)。当初は「零戦」等の新鋭機を投入していたが、沖縄戦末期頃からは旧型機・練習機まで使用 徴兵検査【ちょうへいけんさ】徴用【ちょうよう】帝国大学【ていこくだいがく】戸板【といた】燈火管制【とうかかんせい】統制品【とうせいひん】東洋工業【とうようこうぎょう】特攻【とっこう】徴兵検査(写真「21世紀への遺言-福岡市原爆被害者の会」より)12

元のページ  ../index.html#12

このブックを見る