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Gadget)アメリカが原子爆弾製造のために、科学者、技術者を総動員したマンハッタン計画(総括責任者レズリー・グローヴス准将、科学部門の開発総責任者ロバート・オッペンハイマーにより、人類初の原子爆弾が誕生したのは一九四五年七月十六日、ニューメキシコ州アラモゴードの砂漠にある軍事基地だった。この原子爆弾はガジェットコードネーム呼ばれ、長崎に投下されたファットマンと同じタイプであった。マンハッタン計画によって開発された原子爆弾は三つのタイプがあった。ガンバレル方式のウラン型原爆で、いわゆる「広島型原爆」。人類史上初めて実戦で使用された核兵器である。開発当初の設計寸法よりも短いものとなったためリトルボーイ少年と呼ばれた。約五〇キログラムのウラン235が搭載され、このうち核分裂を起こしたのは一キログラム程度と推定される().  .(4 ). i  というが、これはTNT火薬一五、〇〇〇トンに相当し、B29三〇〇〇機分の通常爆弾が一度に投下された計算になるという。リトルボーイタイプの核実験は、大戦中には行われていない。ファットマンと同じくプルトニウムを原料とし、リトルボーイと同じガンバレル方式を採用していた。筒状の形状とルーズベルト大統領にちなんでシンマン(痩せた人)と呼ばれたが、十分な核分裂を起こすことが困難と考えられ、爆弾容器の投下実験などは行なわれていたものの、一九四四年七月に開発は中止された。プルトニウム239を使用したインプロージョン(爆縮)方式の核爆弾。長崎に投下された。試作のガジェットを含め合計三発が製造され、最後のファットマンは一九四六年マーシャル諸島のビキニ核実験場で使用された(クロスロード作戦)。ファットマンが特異な形状をしていることから、投下後の動きを確かめるため、同じ形状の模擬爆弾で投下実験が繰り返された。この模擬爆弾は爆薬重量二・八トン、総重量四・八トンの巨大なもので、黄橙色の塗装と形から、「パンプキン(カボチャ)」と呼ばれた。七月から八月十四日までに四九発が日本各地三〇都市に投下され、多くの被害をだした。人類初の核兵器Mark2シンマン(Thn Man ) Mark3ファットマン(Fat Mark1リトルボーイ(Little Boy) Man)ガジェットトリニティ実験の爆発10秒後広島の原爆投下に使用されたB29 ENOLA GAY(エノラ・ゲイ)長崎の原爆投下に使用されたB29 BOCKS CAR(ボックス・カー)

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