第30集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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セイタカアワダチソウでした。被ひく爆後ごのニュースでは、この先さ、何な十年ねも草くき木が生はえないということでしたから、青あお々と茂しったあの雑ざう草を見みた時と、あれほどうれしいことはありませんでした。あの出で来事を、私わの言こば葉で正せく確に伝つえる自じん信もなく、アメリカ人じが理りい解できるわけもないと思おい応おじませんでした。しかし、九二歳さとなった今い、あちこちで戦せう争が起おこっている今い、若わいころ「あなたにわかる訳わがない」と口くを閉とざしてきたことを反はい省しています。いますが、納なく得できません。あの爆ばん弾の役やり割は〝殺さん人〟以いい外の何なものでもありません。⑫⑪かかにがやいんうちまいまかけたしととごきんかもつくとばしだばいきんんついまねろけごわとうげきききいかはばきんんさ朗 読 者 朗 読 者 ろし広ひま島駅えに降おり立たった時と、私わの目めに入はってきたのは、焼やけ野のら原の中なで力ちよ強く緑みの葉はをつけた、ぐさっそろこ雑ざう草に慰なめられた喜よびは、今いも胸むにこみ上あげてきます。ろし広ひま島の七つの川かが黒くい油あで汚よれ、火やど傷を負おった人ひでいっぱいになったこと、んにんこ当とじ時の人じう口三〇万まん人足たらずの約や半数が亡なくなったことを想そう像できるでしょうか。ょがっこう女じ学校一年ね、十三歳さの時とに被ひく爆した私わは、大だく学一年ねの夏なに白は血病となり、二カ月げか近くの入にん院生せ活かを送おりました。そして大だく学卒そう業後ご、アメリカに数す年間留り学しました。んぶ新しん聞記きゃ者が、被ひく爆体たん験を聞ききたいと私わの後あを追おってきたことがあります。しかし、あの時じい代の、たしんば原げく爆を落おとしたことで、戦せう争を早はく終おわらせ、平へわ和に貢こん献したような発はん言をするアメリカ人じもっとくわくだにぐ世せい界の国くに々の中なで、原げく爆を経けん験したのは日にん本だけです。たしおあぶらくはんすうたしいがつぎょたしいけいかんせんそつじんばいけっそうぞいがうねんかんゅうがくんそうけっぽからづどりっけつびょうつげゅういつち69

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