第30集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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いました。一九四五年ね、当とじ時私わしは中ちく学三年ねい生で、国こつ鉄(今いのJR)の長なき崎機きん関区くに学がと徒動ど員中でした。そのころは、労ろ働力が不ふく足していて、学がと徒動どん員といって中ち学校以いう上の学がい生や生せと徒にも働はくことが強しいられていたのです。て満まく足な食しじ事もできない子こどもにとっては、それは大たん変な重じ労働でした。八月が九こか日、その日ひも大おな人に混まじって汗あを流なしていました。「あっ、B29だ!」がりました。同どじ時に熱ねん線と火ひな花が地ちう上に降ふり注そいで来きたのです。辺ありは一いん瞬にして黄きろ色くなり、んそょうがっこう小し学校の遠えく足で、みんなで軍ぐか歌を歌うっていた思おい出でがあります。んそっぽんぐん日に本軍が戦せう争に勝かっている時とは、昼ひま間は旗はを揚かげ、夜よは提ちん灯行ぎ列ですよ。んこゅうがくせい中ち学生のころは軍ぐく国主しぎ義のひどい時じい代でした。国くの言いうことを何なの疑ういもなく受うけ入いれ、国くのために死しぬのは当あたり前まと、子こども心ごに思おってんたいか生せつ活全ぜい体が不ふ自由なことがいっぱいあったのに、何なとも思おわなかった。そういう時じい代でした。うどうりょくいに毎まち日、貨かゃ車で運はばれてきた石せん炭をスコップで降おろす作さう業に励はんでいました。食糧が不ふく足していんぞょくこのくおつぜ突とん然、爆ばん音がして思おわず空そを見みあ上げると、アメリカの爆ばき撃機きがはっきりと見みえました。浦うみ上のくし爆ばん心地ちから約や二・五キロの場ばょ所です。私わしが指ゆさして叫さんだ瞬しん間、長なき崎の空そいっぱいに炸さつ裂した爆ばん弾の光ひが、ものすごい音おとともに広ひくはきゅ地ちう球そのものが爆ばつ発したのではないかと錯さく覚しました。たがんせゅうがきたくしそばうたいけらびたとろもら④③たうんまかくつとせがくそいしこそげうゆじもだんゅだんたもきるたるかににんえもがさゅんかじょっせょうれつういんちゅうがさじょくせしょくりょうゅうろうどうかりっしゅころたららかょうちくてういゅうがっこうぎょいへくげくだくれっか朗 読 者 朗 読 者 実の声47

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