(谷口)二〇二五(令和七)年一月二九日エフコープ平尾ステーションにて 聞き手 斎さう藤 マまチ子(古賀市)いと谷たち口 純じこ子 にぐゅん野のき崎 良よ志美(福岡市石いわ川 達たう朗 しかつろ白しべ部 美みき樹 (北九州市)(エフコープ) (エフコープ)私わはこれまで、被ひく爆の実じい態を学まぶなか、被ひ爆者は精せ神的、んたいてき身し体的、さらに差さつ別を背せお負って家かく族にも話はすことなく一いう生方かに巡めり会あい、戦せご後は二人に三脚きくで頑がば張ってこられた幸しせなんせ人じい生だったのでは…と、お連つれ合あいの懐ろの深ふさに感かい銘し、幸しわせなくらしがあったはずと想そう像し、〝今い〟の私わたちは普ふう通現げい在、若わつ松さんは、今こし年一月がよりデイサービスやお友とち達を終おえる方かのほうが多おいのではとの思おいを抱いいていました。が、今こい回の若わつ松さんのお話はをお聞ききするなかで、理りい解あるこちらまで幸しせな気きも持ちになりました。てた三階が建だての家いで、祖そぼ母、ご両りん親、兄きい妹四人にに囲かまれたのくらしがある(できる)〝平へわ和〟に感かゃ謝であり、「これからも平へわ和であってほしい」と改あめて思おいました。とのお付つき合あいなどで楽たしくお過すごしとのこと。これからもマイペースで、お元げき気でお過すごしください。かりと発はん信していきます。 たしんかかまあわんそかまんざんのいがいもいあまつとつえいんこほうかんんたぐんゃざみし)らおたもだべぞなばばくしゃなこちか いけちょっしったなしふとこょうだょうしうぞんしらたくはいぜつまた、戦せう争が起おこらなければ、尚なこ子さんはお父とさんが建たお聞ききした貴きう重な体たん験は、『核か廃絶』『平へわ和』を願ねってしっいしんてきっしょあわんめたしもだ42
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