第30集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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ていうようなね。だから朝あは四時じには起おきて、お正しつ月とかは、もう三、四よか日間か寝ねられないですね。そういうとこにお嫁よに来きたもんだから大たん変だった。に行いった私わの兄あは、二ふり人とも無ぶじ事に帰かってきましたが、すぐい、全ぜき摘手しつ術を受うけたんですよ。今いは食しじ事には注ちい意しながらわっているみたいで、いま行いったらどこかわからんようになってるじゃないでしょかね。足あが弱よいで行いけないので、電でですね。戦せう争は絶ぜい対にだめ。偉えい人ひは何なを考かえてるんでしょうね。戦せう争が起おきたらこんななると、みんな知しっとかないかん。私わたちは経けん験してきたからわかるけど、若わい人ひたちは知しらないでしょう。まだこの世よに戦せう争があると思おうと本ほう当に悲か人じの姉しい妹が二ふり人と、妹との甥おっ子こが近ちくにおるくらいで。兵へい隊上うの兄あと私わしか残のっていません。私わは、六七歳さで胃いがんを患わ頑がば張っています。長なき崎には従いこ妹たちがおりますが、昔むとは変か車しではもうね。いか始はまらないようにしとかんと。なんか変へな空くき気になってそうらだろし縁えがあって福ふか岡の若わつ松と結けん婚しました。やっぱり子こどもが産うまれないんですよ。子こどもができないから、苦くになってね。いが大だく学病びん院まで行いって調しべてもらったら「奥おさんはどうもない。産うまれますよ」って言いわれ、そしたら主しん人が「おまえだけが苦くしんで苦くう労させる訳わにいかんから、俺おも調しべる」と言いって主しん人は福ふか岡におったから関かい係ないけど、検けさ査に行いってくれょうば商しい売をしていたので、子こどもがおらんと跡あが継ついでいかれんんい原げん因がわかったからね。弱よかったみたいですね。千ちよ代町ま市いば場で蒲かこ鉾関かい係の卸お売うりをしくれましたからね。主しん人は「おまえが原げく爆受うけとるけん」ということは絶ぜい対に言いわなかったですけどね。たっていうのが、ありがたかったですね。女じい性は子こども産うんでっていう、まだそういう時じい代だったし、ひとり息むこ子であり、から、責せん任はあった。私わに原げん因があったら辛ついけど、でも、くて、野やう球したりいろいろして運うう動は好すきでしたけど、体かはていて大だる丸とか玉たや屋にも店みを出だしていました。好すかれていたんですよね。どこの店みからでも「うちに持もってきてくれ」っでも、主しん人はさっさと五六歳さで亡なくなりました。体たく格がよかまくおょういゅじったくおゅじたしきにゅじきゅいまっこゅじんばんけょせんいんどまぼんけょうがいたずらゅうかしんそんがんとせもなませわちちかといらとにじうんらゃもとしわんだすとんこえにいにたえんまけろるれらいたんまからくまゅんっめんさ     いへ今いは、子こどもがいないし、両りん親も亡なくなったでしょう。主しいもうたしたしんてゅじゅがさんそ戦せう争がまたねえ、なんでするんだろうと思おってね。戦せう争がったんそんそたしいけょうしたしょくんそ40

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