第30集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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きませんでしたね。仕しと事の関かい係で帰かってこれないんだなって、みんなで留るす守を守まらんといかんと。母はを亡なくしてからがっくりしたのと、三みし菱造ぞ船所の仕しと事も定てん年になったことや、自じん分が建たてた家いが壊こされて原げく爆で燃もえてしまったでしょ。あれでお酒さばっかり飲のむようになりましたね。その父ちも、六〇代だでを浴あびてるからかなと思おうんです。ピカーッと光ひって…それから終しん戦になったでしょ。その事こで戦せう争が終おわったと思おう。私わは、放ほ射能を浴あびてるということもわかっていたので、何なかにつけて病びき気はもうそれじゃないかなとか思おい、必かず結むびつけてましたね。縁えん談があってもね、東とう京あたりの人ひは広ひま島・長なき崎の人ひはいやだといって断こられたことが二、三件けありました。親しせきのおばさんがね「それはそれでいいたい。それなら長なき崎の人ひと結けん婚しなさい」っていうような話ははしてましたけどね。た。もっと早はく原げん因がわかっていたら、まだ生いきてるんだろうねって後あで思おってね。昭し 和二〇年ねに原げく爆受うけて五年ね後ごに亡なくなるまで、母ははその間か寝ねたり起おきたりでしたね。いつもんじゃなかったんだろうかと思おったりもします。まだそのころがんというのは知しられてなくって。でも放ほ射能浴あびてるっていうのがね。世せん間の噂うは、髪かの毛けが抜ぬけるとか、薬やう草を煎せじて飲のんだがいいとか。ヒバの葉はがいいとか言いわれれば母はがすぐそれを作つってくれてました。そういうのばっかり流はや行ってきてましたね。ろう」と言いいよるのを、「そんな心しい配せんでいい」と怒おられよったのをそばで聴きいていてね。その母はは五〇歳さで亡なくなりました。私わが十一歳さで妹とが小し学校一年ねい生にやっと入はったぐらいでした。亡なくなりました。代だで大だう腸がんで亡なくなったんですよ。それがやっぱり放ほ射能くそつや夏なす休みは薬くもらいに病びん院に行いって、それが日にか課っていうのを自じん分の日にき記に書かいてるんですね。窓まち口で薬くをもらってる絵えを描かいてね。絵え日記でね。母はは血ちを吐はいてました。胃い潰瘍でしょうね。後あではね、が母はが兄あたちに「私わが死しんだらあの子こたち二ふり人でどうなるやんいすりょういわさたしたしいもうょうがっこうょうわんばどぐすりうしゃのうんぱんせいいといはんんこととくはにはたけみんもいかはとようっにきっぶすもにもかともいけちいにうわえっごぶんはもとんんもはごえやとちえ     つびうせんじょ父ちはですね、三みし菱造ぞ船所に勤つめてましたから何なち日も帰かってつびうせんじょいもういし妹とは五歳さた下で、当とじ時はまだ何なにもわかってない。でも六〇いちょんそならうきょなしんけいねんばゅうせたしうしゃのうょうろしがさがさんにうしゃのうんだとわっこ39

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