第30集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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れって。道どろ路潰つすからって、引ひっ越こしの用よい意をしていたんです。その時とに原げく爆が落おちたので幸さい全ぜぶ部家かく族が家いの中なにいました。一時じ的てに父ちの姉あの夫おのつてで、元もの家いから近ちくの山やのも爆ばう風で窓まガラスはなく、瓦かだけがあって蚊かや帳を吊つって暮くらしました。その後ご、山や県郡千ち代田町ちう(現げ山や県郡北き広島町)の父ちの実じか家で暮くらすことになりました。千ち代田町ちうの父ちの実じか家には、広ひま島で焼やけ出だされた、父ちの姉しい妹たちの家かく族も戻もってきていました。た。広ひま島から帰かってきた一いか家に、田いか舎の子こどもたちからは、て、ずるむけになっていました。その時とはピカドンよ、とかなんとかいうより…とにかく死しんでしまった。子こどもを産うんだから体かが弱よっていましたし、栄えう養失しう調やら、まあ、いろん私わしのいる説せ教所の方ほへ逃にげたことを知しりました。火やど傷してい疎そい開先さからは、母はが借かりてきてくれたリヤカーに学がう用雑ざ貨か、柳※行李、布ふん団などを載のせ、姉あと三人にで代かわる代がわる引ひき見みた渡す限かりガラーンとしていました。川かを見みお下ろすため、橋は払はい除のけられました。死しい体の山やがへばりついていた所とだから、菌きがいっぱい付ついているから絶ぜい対に触さってはいけない、と言い家いは焼やけ崩くれて何なもありませんでしたが、家かく族みんなに怪け我がはなかったですね。というのが、ちょうどその日ひ、私わの家いいると思おえば走はって説せ教所を駆かけおりて行いくわけです。そのときも母はを知しる人ひから、「あなたのお母かさん、貯ち水場で走はって逃にげているのを見みかけたから、大だ丈夫よ」と言いわれ、母はがるかな、と心しい配しましたが、火やど傷もなく、八月が十七日にに迎むえに来きてくれました。ながら、二〇キロの道みのりを歩あいて帰かりました。の欄らん干に手てをかけようとすると、「ダメーッ」と言いわれ手てをわれました。は立たち退のき疎そい開に入はって、今きう日までに全ぜぶ部荷につ物を出だしてくピカドンから十一日に後ご、暮くらしていた牛うた田の家いの周まりは、っきょうじょっきょうじょんぱやなぎこうりんかかいんもょえずにえぞんわたまらわききはみんえるべゃしくばぎわわしっえなちしえわのがとちえるとんねはかきっつちかけうたけちぞまどっちよょだちっよょだんどしだせうしえはきねちとえかまとはあししもきえんぞかぶうう      たひろしまちょうまがたぐんいじょうぶったょすいじょう手ての方ほ、牛うた田早わ稲田の貸かや家に住すむことができました。その家いくよ被ひ爆者差さつ別を受うけることもありました。ピカドンにあってころ帰かったと言いったら、みんな気きも持ち悪わがるんですよね。そばに寄よっただけでピカドンがうつると言いわれて。たしんばくふろしおぜょくりょうひん食し料品も無なく大おい勢の人ひと々が食たべる物もを探さし求もめていましろしたしうこんせ母はは私わが高こう校一年ねい生の時とに亡なくなりました。髪かが全ぜぶ部抜ぬけらだいわっとわらまがたぐんとびっちょいよ13

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