会かで一いょ緒だった近きょ所の方かに「あなたのお母かさん、生いきている待まち構かえました。いざ放ほう送が始はまると、全まく聞きき取とれない状じ態たでした。寮りぼ母さんたちが伏ふして「日にん本は戦せう争に負まけました、らだずか避ひん難してきた人ひの状じい態も見みていましたが、あのような様よす子を見みても、まさか負まけるとは思おってもいませんでした。『負まけょうた張はり付つこうか』とどうしたら逃にげられるかを、一いう生懸けい命考かがえくしくみっこわよ」と言いわれホッとしました。八月が十五日にの玉ぎん音放ほう送は、説せ教所でみんなが正せざ座して聞ききました。天てう皇陛へか下からの大だじ事な話はがあるとのことでした。〝天てう皇陛へか下さんはどんな声こをされるんだろうか〟とみんなでもう戦せう争は止やめる。と言いわれたんです」と泣ないていました。たんなら、アメリカ兵へに突つき殺こされるんだ』『自じつ決するか』『裏うま山に逃にげようか』『あの木きに一いう生懸けい命登のって、枝えき木に隠かれようか』『お寺ての梁はの下しに潜もって、ペタっとヤモリのようにました。後のに、知しっているお姉ねさんがアメリカ兵へのジープににこやかに乗のっている姿すを見みかけたので、〝殺こされはしないんだろう〟と思おいました。隊たさんは転こがりながらも、「水み、水み」と求もめていたのが記きく憶焼やけただれた体かで這はいながら親おが子こを探さし回まっている状じい態探さしました。私わたちがウロウロしていて、「どこの子こ?何なし孤こじ児になったんじゃね。でも頑がば張るんよ」とみんな泣なくので、が水みを飲のもうとしたとき、走はり寄よってきた上じん官が、その焼やけただれた体かの兵へい隊さんをボカーッと殴なりつけ、「飲のんだら死しぬぞ。死しんでもいいんか」とどなりつけました。殴なられた兵へにあります。また兵へい隊さんたちは軍ぐく服を着きているので、ズボンを下おろすにも焼やけただれた手てではベルトを外はすこともできず、私わたちに「便べょ所に行いきたい。ベルトを外はしてくれ」と言いわれ外はしてあげました。その兵へい隊さんは、便べょ所に入はっては行いきましたが、用よを足たすのは、あの焼やけただれた体かでは難むしかったように思おいます。でした。〝自じん分の母はもこの中なにいるんじゃないか〟と必ひし死でてるん?」と聞きかれるので、「集しん団疎そい開でここにきてるんです」と伝つえ、「どこの学がう校?」と聞きかれるので「白はま島国こん民学がう校です」と答こえると、火やど傷した体かのその方かたちが、「かわいそうに。〝孤こじ児になったのか〟と戸とど惑いました。そんな中な、母はと婦ふん人らだいたいたたしんじらだたしっこょうっしょんめょうかんぷんじいたゅうだらだんじっしょくおんのんのょうんそょうたらやんもまかはじやがかはけたたたかがにかはぶっろちえいんぐりらたぼくだがわやいろけももうずいずずろいとずおずとなういまじえいいいぐぐいちついしずいたあ っきょうじょ説せ教所には、子こどもを探さす親おが迎むえにきました。母はに似にてうそっきょうじょなしうそったっぽんそっしょんめがた12
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