が大おきくなっていきました。キラッキラッと巻まき上あげられたものが光ひりながら、光ひを浴あびては赤あろ黒く渦う巻まきながら空そをく異いう様な暗くさの中なで、〝自じん分らはとにかく生いきているんやね〟という感かじでした。ドロドロした荷につ物のような、なんとも形けう容できないものがせて、農のか家の人ひが持もってきた筵むをバーッと敷しいたところに、てきました。トラックが着ついた途とん端に自じん分で降おりられる人ひは、みんな喉のが渇かいていたのでしょう、焼やけただれた体かで「水みくれ、水み、水み」と言いって水みを求もめて叫さびました。「水みを飲のんだらいかんぞー。死しぬぞー」とメガホンで言いってまわっているい重じ労働で毎まち日疲つれきっていました。を聞きいていました。突とん然、一いん瞬の光ひ、校こゃ舎が揺ゆれ、ガラスがバリバリと割われ、そして爆ばう風で異いう様な雰ふ囲気になりました。よくわからないまま、先せい生が「避ひん難、避ひん難」「裏うま山に避ひん難」と言いうので、とにかく靴くを履はきに急いぎました。ると大おと事になるといつも言いわれていたので、何なか履はいて逃にげないといけません。それをみんな、わかっていたので、学がう校の下げ駄箱に殺さう到しました。疎そい開していた五五名めとその学がう校のっちゅ日にう中は、飛ひ行機の燃ねう料にするための、松まの根ねを掘ほりに山やに入はったり、農のか家のお手てだ伝いをしたりしていました。松しん根は、深ふく土つを掘ほりだして取とり出だすので、四年ねい生の私わにはとても辛つ日ひごろから避ひん難は、学がう校から五〇メートルくらい離はれた、小おわ川の近ちくの竹たぶ藪と言いわれていました。竹たぶ藪は、竹たを鎌かで切きって、その切きり口くが槍やのようにとがっていて、足あの裏うを切き生せと徒で七、八〇名めくらいが押おし寄よせたでしょうか。靴くこ箱では、ょうきゅうせい上じ級生の大おきな体かがのしかかってきて、靴くを取とるときには、殺こされるような思おいをしました。んりょいにゅうろうどうつぜけやおごっとらだろもおついいかこばたいにちりしらかがけまななそつなななよんいきおさいつうずとずずけずわどずぶたともとことうとくしまんもぶらかよもらろかもろにもかおもかへかちらういつきこうつまかずらおらぜも 八月が六むか日もいつも通どりの朝あでした。学がう校の廊ろか下で先せい生の話はんせっこっしゅかりうしくふんせっこけやょうこたし覆おっていきました。いわゆる原げく爆雲ぐです。その中なから破はん片やんせなし何なか紐ひがついたようなものも飛とんでいて、それも〝落おちたら爆ばつ発するんじゃないか〟と思おいました。空その色いは曇くって赤あ黒ぐらや山やづ積みにされたトラックが、広ひま島から学がう校に着つきました。被ひ爆ばした人ひたちを乗のせたトラックでした。机つを教きつ室の後うろに寄よ血ちどろヘドロで汚きい荷につ物のような状じい態の人ひが、そっと運はばれっこっこつば兵へい隊もいました。ヘトヘトで懸けい命にポンプをこぎ、兵へい隊さんろし広ひま島の空そを見みあ上げると、風かに揺ゆれてモクモクとどんどん雲くかりくはたないたかぐんばいよろしっこくえしろょうたんめょうしらだいた11
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