第29集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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逆ぎくに自じん分の親おを思おいやったんです。だから禎さこ子が残のしたのは、思おいやりという心こ。思おいやりがあれば争あいも起おきないし、戦せう争も起おきない。日にん本全ぜく国から、そして海かい外からも寄きふ付金きが届ときました。 『原げく爆の子この像ぞ』は幟のち町中ちく学一年ねい生のクラスメイトの「禎さちゃんの墓はを作つろうや」が始はまりな「おいしい」そう言いうと、病びつ室をぐるーっと見みわ回しました。「みんな…ありがとう」それが最さご期の言こば葉でした。禎さこ子わずか十二年ねの人じい生でした。そこには入にん院から七月が四よか日までの「白は血球の数か」が書かかれていたのです。この心こがけをみなさんでどうぞ育そててください。今いの私わが禎さこ子から学まんだ考かえ方かです。んです。「募ぼん金しよう!」となり、その活かう動は広ひがっていきました。「禎さこ子と同おじ原げく爆で亡なくなった子こもいるから、一いょ緒に慰い霊碑を造つろう」と話はが発はん展し、ょうし禎さこ子のベッドの下しから、一枚まのメモが出でてきました。ゅうい禎さこ子はナースステーションのお留る守番をすることもあり、その時とにカルテを見みたのでしょう。日に本語で書かかれたカルテもあり、自じん分が白は血病だったと知しっていたのです。いびょ禎さこ子は大たう病をしながら、すべてのことを知しりながら、親おに心しい配させたくないと我がん慢し、らそころんばんばんこっぽ禎さこ子が亡なくなって三年ねご後、一九五八年ね五月が五いか日に『原げく爆の子この像ぞ』が建たてられました。っけっきゅうんせぼりまゅうがいがんせっけつびょうんそたしつどっしんばんぱんがなしころって朗 朗 禎子の声禎子の声読 者 ⑰⑯  つんんだつうんどなだれいひくもだまだなたきろうだかくじもやぶゃだこもまいだとんただいっつずぶごんほだやまんばすだき読 者 40

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