第29集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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しかし、父ちが知しり合あいの借しん金の保ほ証人になり、その借しん金が全ぜぶ部、父ちにかかってきたんです。たちまち、借しん金返へい済に追おわれるようになり、毎まち日の生せつ活はとても苦くしくなりました。 戦せう争が終おわって九年ね、一九五四年ね十二月が、小しく学六年ねい生になった禎さこ子の顎あの下しが少すし腫はれてきて、ABCCで検けさ査を受うけました。ABCCとは、原げく爆が人ひの体かにどんな影えう響を与あえたか調しべるために、アメリカが設せつ立したものです。すると、血け液中の白は血球の数すち値が異いう常に高たかったんです。「佐さ々木さん、びっくりしなさんなよ。禎さこ子ちゃんの今いこの状じい態から見みると、早はければ三カ月げの命い、長なくとも一年ねと覚かご悟してください」さらに市しん民病び院でも検けさ査すると、白は血球の数かは通つう常の五、六倍ばだったんですよ。お金かで反たの物を買かい、一ひん晩で母はが着きの物を縫ぬいあげました。それが有ゆい名な写しん真、和わ服姿の禎さこ子です。 その翌よつ日、一九五五年ね二月が二十一日に、禎さこ子は日にき赤病び院に入にん院しました。それからの八カ月げ、禎さこ子の苦くしみは続つくわけです。たしくま禎さこ子と私わは白はい米のおにぎりが食たべられると思おっていたのに、残ざん念で歯はがゆかったですね。んそ戦せう争がいかに惨みめか、戦せう争を体たん験したものでしかわかりません。っぽうちょう父ちの床とや屋は鉄て砲町から八は丁堀に移うり、三階が建だての家いを建たて、店みも繁はう盛し、裕ゆく福な生せつ活でした。んさゃっきんそんじ年とが明あけて、近きょ所の医いゃ者から告つげられました。のちょういんょう父ちと母はは禎さこ子に病びき気のことは伝つえないと決きめて、何なとか喜よばせたいと、親しき戚中じうからかき集あめたんもゃしうめくじいけんそっちょうぼりゃっきしょうにんつりっけっきゅうとばふくすがたゃっきいかいにょうがんせんばっけっきゅうつえきちゅううじょろこょういんっせゅういんねんじょうふいきょらだじょょうたんせいか朗 朗 医 朗 読 者 読 者 者 の ⑬声⑫⑪だつるづちつんだだねはもただはちんゅつんがくんみずいだきさまやつししうかんとたらつんんだごたこるちんちいつこちえせじもだ読 者 38

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