妹いとは広ひま島平へわ和記きん念公こん園に建たっている『原げく爆の子この像ぞ』でよく知しられている佐さ々木禎さこ子です。んから先さに乗のせてあげて」って言いうんですよ。けた際さに避ひん難するため、地じん面を掘ほって作つった穴あぐらです。そんな子こで、兄あの面めう倒をずっと見みてくれました。八月が六むか日、原げく爆の日ひ。朝あ八時じ十五分ふ、ピカッと光ひったと同どじ時に地ちう上は三〇〇〇〜四〇〇〇度どのものですよ。だからみんな一いん瞬にして溶とけるんです。 その日ひ、母は、祖そぼ母、私わ、禎さこ子の四人にはちゃぶ台だの前まに座すって、朝あごはんを食たべていました。そうしたら、近きょ所のおばちゃんが呼よんだのです。「佐さ々木さん、空そを見みてごらん。奇きい麗なものが飛とびよるけん」くしんちすのきちょう楠く木町は爆ば心地から一・六キロのところです。被ひく爆当とじ時、私わは四歳さでした。家かく族は父ちと母はと祖そぼ母、そして妹との五人に家かく族でした。んたろしょうない父ちは広ひま島城じ内の軍ぐい隊本ほぶ部と山やあいの三みし次の分ぶい隊を、行いったり来きたりしていました。もうろししこしし二ふつ年とた下の禎さこ子は賢かくて、とても気きを配くれる子こだったと、父ちが話はしていました。んた父ちが軍ぐい隊本ほぶ部から乗のってきた自じ転車に、私わが「乗のせろ、乗のせろ」と言いうと、禎さこ子は「お兄にちゃいほうしゅ空くう襲警けう報がなると、幼おい禎さこ子が私わの手てを引ひいて、防ぼ空壕に入はるんです。防ぼ空壕とは、空くう襲を受うんばろしっぷ熱ねう風。その熱ねが広ひま島を覆おったんです。二キロ以いい内の木もう造の家いは全ぜい壊。太たう陽が降ふってきたようなんじょくじちゅう食し事中なので、おばあちゃんはそこに残のっていましたが、母はと私わと禎さこ子は外そへ見みに行いきました。いもううえてんしゃたしさなんどっしゅたしたしんたんばたしうくうごうくぞうくうごうじょんかいよたしうしゅ朗 朗 朗 読 者 読 者 読 者 近所の人の声34⑤④③めないくならきされこはだとんだはいえわさおつなえんさいつうかにきだいんちだいばだたちなねいうさきだはちぞんぞばういよまんち
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