今いも忘われられない一日に小こぎ柳 やな千ちよ代て、童どわ話の上じず手なおじさんがおって、楽たしみに行いってましたね。下しの新し大工町とかは、どこにも隠かれるところがないからですね。も空くう襲があって、B※29が飛とんでいました。それは疎そい開する前まに何など度も見みた光こい景でした。それが怖こかったです。やっぱり戦せたし私わは二歳さえ上の姉あと祖そぼ母の三人にで、疎※い開先さの三み組川内郷(現げ在ざの三み川町時じは八人に家かく族で、鳴なき滝の自じく宅には父ち、母は、叔おば母、五歳さ年とえ上の姉あ、妹とがいました。疎そい開する前まにいた鳴なき滝は、シーボルト記き念館の上うの方ほからけや竹たぶ藪が続ついていました。そこには二ふつも三みつも防※空壕があっ長なき崎はすり鉢ばう状になってるから、山やの上うからシャーと飛ひう行機きが降おりてくるんです。そしてまた上あがっていくんです。夜よ争そは怖こいですよ。わうんわんかえれきえる まえこまかねたくうのづたっ えかねんえうたぞんちはいいかわまち)ばきいう ねきくみかわちごうんんんかえのなきかもいくんたんなきしかゅろわこ かろ くわなかいんすまちいうるたいもうるたょうんだいくまちがさちじょうしゅうけで被ひく爆しました。その時と、私わは四歳さでした。当とそかたしかんしう下しの段だを空あけておいて隠かれるんですよね。何なにもならんのにぼうくうごう思おいます。疎そい開先さでは、田いか舎の小こや屋の二階かを借かりていました。夜よか中は庭にに作つってあった防ぼ空壕の中なに入はってました。箪たす笥うくうごうるたんば原げく爆が落おちたのは、疎そい開してから何なち日も経たってない頃こだとくふとかも防ぼ空壕の中なに入いれてましたもんね。B29がまた来きたって言いってね。早はよ避ひん難せなって。間まに合あわん時とは、押おい入れのね。鳴なき滝にいる頃この、戦せう争中ちうの怖こい体たん験が印いう象に残のってるんですよ。十一時じ前まに「お腹なすいた、何なか食たべ物もない?」と言いったら、おばあちゃんが「今いから、さつまいもを蒸ふしてあげるから、おとなしくしときなさい」と言いったのですが、結けく局食たべてないです。爆ばう風が来きて、家いが揺ゆれたもんですから、びっくりしてですね。バラバラと土つべ壁は落おちてくるし、いつも入いち口の所とに奇きい麗にそろえて置おいてる防ぼう空頭ずん巾とバッグがなかったかうくうごうんそいけんにちかうくんしょっきょりぐころ24
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