第29集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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お話はをお聞ききしてとは思おえないほど、お若わくて、お元げき気で、昔むのこともしっかりとした口くう調でお話はしていただき、予よい定時じん間をはるかに超こえての聞きき取とりとなりました。この日ひは被ひく爆体たん験だけでなく、ご自じん身が生せを受うけたご両りん親の故こう郷や職し業、婚こん姻に至いるまでをで上じ京。縁えあって結けん婚し平ひさんが産うまれたこと、お父とさまがことで、お母かさまが子こどもを抱かえて診し療所を守まったことなど、ました。お元げき気で過すごされたことは、平ひさんが今いもお元げき気なことも合あわせて、お互たいが孝こう行で幸しせな晩ばん年だったのではと思おいます。なし証しん言いただいた平ひさんは、今こし年、御おし年九〇歳さを迎むえられる子しい細にわたってお話はをしていただきました。父ちた方は鹿か児島県け、母はた方は広ひ島県、それぞれ医いく学の道みを進すんょうきょう軍ぐい医として支しな那事じん変・太た平洋戦せう争と二度ど招し集され、出しい征した子こども心ごに戦せう争中ちうの家かく族が引ひき裂さかれたくらしが伝つわってき自じう称〝お母かさんっ子こ〟とおっしゃる平ひさんからは、お話はの中なでも絶たえずお母かさまのエピソードを、尊そい敬を込こめた思おいで語かられていました。そのお母かさまが、九六歳さで亡なくなるまでょうげなしちょょうしなしはかちかっこいへいようころんそしょうこんとかしいけょくぎょうきょんいろしまけんょうしゅうんそんりょうじょんけあわんねゅっせなしがもんまんらあたいあかも す あらぞゅたかあもへんらんう しまんごがちすたいがだんばけうもめょ ばらくさもいしたおょんばてかっらきい らいかとかもんいいいいじかかしらく ばが                          また、今こい回は長ち時間にわたる聞きき取とりで、被ひく爆のお話は以いい外にも、平ひさんご自じん身の若わき日ひの学がう校生せつ活やご兄きい弟のこと、特とに平へわ和活かう動の際さ、有ゆ名人(スポーツ界か、政せ治家、女じう優など)へ色しし紙の依いい頼を積せ極きき的にされ、実じん現できたことに驚おきと敬けい意です。さらに現げい代の世せう情や、選せょ挙に行いって国こん民の義ぎむ務を果はたすことまでもおよぶなど、記きく憶力りくや関か心力がお元げき気の源とになっていると思おいました。このように貴きう重な体たん験や経けん験をたくさんお聴ききしたのですが、すべてを紙しん面上じうでご紹しい介できないことが残ざん念で申もし訳わなく思おうところです。ていく時じい代だからこそ、これからもお元げき気で被ひく爆の伝で承者として、平へわ和の語かり部べとして、ご活かく躍されることを心こより願ねっております。                  (谷口)二〇二四(令和六)年三月十八日大野城市の平さんのご自宅にてんかょうじかんつどうめいじんょくてじょんだんねいけ平ひさんには被ひく爆体たん験、戦せう争体たん験をされた方かた々が少すなくなっ聞き手 っこいかつげんきんしんりょくちょんそいけつや谷たち口 純じこ子(北九州市)にぐゅん小こし林 泰やし志(エフコープ)ばやなしょうだょゆどろくみみなもいけいけょうかたがんしょうしゃころ20

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