第29集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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母はも祖そぼ母も止とめもしません。「気きを付つけて」です。まさに戦せ時じそのものです。私わは急きか坂の山やを登のりながら不ふん安でした。『アメリカ兵へは銃じ杯ぱで登のりましたが、杞きう憂に終おわりました。アメリカ兵へは中ちく腹色いの白しい顔か、オドオドした緑みろ色の目めが忘われられません。二ふり人は捕ほょ虜で捕つまり、一ひり人のアメリカ兵へは爆ばつ発で亡なくなっ若わい二ふり人のアメリカ兵へ、私わの父ちと同おじように招し集され、兵へき役を持もってる筈はだ。拳けう銃を向むけられたらどうしよう』。不ふん安一いの山やち道で、先さに駆かけつけた消し防団に捕つまえられていました。おとなしく捕ほょ虜になったようです。村むと人が二〇名めくらい、手てには斧お、鎌かを持もち、子こどもの私わまで刀かを持もって囲かんでいます。アメリカ兵へは怯おえていました。初はめて見みたアメリカの兵へい隊、えました。行いこうとしましたら、ダメだと大お叔父に止とめられました。内なう臓が破はつ裂して血ちまみれで、子こどもには見みせられない状じい態だったと後あで聞ききました。て落おちてきたのでしょう。その捕※ょ虜の行ゆく末すです。無む慈悲にも十とか日後ごに落おとされた原げく爆で亡なくなってしまいました。あのたしゅうざんじゅまみいぞょうたんばいたかなちけっおみじれろえじひ じおら とかりたいとれおおじ かまきさんおろろすびいじまのこりいきかゆぼいいずあっ ぼまいあはんろらかきえわなまんうまく うおいつりたたん だりいこいざんりいんがれいんいなれいぶべい三〇メーターほど先さの山やの中なに、血ちで染そまった落ら下傘が見みょうぼうだんらびたしたなどりいほりたしゅうゅうふ戦せご後調ちさ査して、十数すい名の兵へし士を探さし出だし、自じひ費で慰いい霊銘め板ば大たん変な篤とし志家かです。いたっか縄ななどを手てにして山やぼ登りでした。爆ばん心地ちから六キロ離はれた山やくは込こんできました。奇きい麗な虹にの塊りがさざ波なになって広ひがってきます。一いん瞬のことょうしゅういえに就つき、戦せう争に参さか加して日にん本を攻こき撃して撃げい墜され、捕ほょ虜になり最さご後は自じく国の爆ばき撃で死しんでしまう。あまりにも無むん残な戦せう争の残ざく酷さ、非ひう情を感かじます。を市しい内の小ちさなビル(旧き中ちく国憲け兵隊司し令部)の壁かに掲けじ示して弔とった方かがおられます。森も重しき昭さんといわれる方かですが、それから十とか日後ご、原げく爆投とか下の日ひです。ピカの落おとされた日ひです。八月が六むか日、夏なす休みとはいえ、その日ひ、小し学生の私わたちは朝あや早くから動ど員いされて、学がう校の裏うま山の手てい入れのため、鎌か・にいましたが、作さう業場ば近ちくになったその時とです。突とん然目めの前まを、体かがよろけるような真まっ白しな光こん線が、広ひま島の空そから飛とびでしたが、眼めがくらむ光ひに危きん険を察さしたのか、先せい生の「伏ふせんそくげじょんころし余よん談ですが、広ひま島の原げく爆で亡なくなった捕ほょ虜のアメリカ兵へをうめょうむらいへんばつやさはまのぎょらだろし広ひま島の空そに大おきな虹にの塊りが現あれ、その中ちん心が裂さけて、そのかたまっぽうげきつんばゅうゅうごんぺいたいげあっこらやくしうせらわかたまゅうしかりんそょうがくせいたしつぜろしっしゅんせ15

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