なし干えと支は私わも同おじ。そして、亡なくなられたお兄にさまの齢とを聞きく柿かの木きの下しの出で来事を話はされた時と、松まと本さんは嗚おつ咽し、涙な松まと本さんの壮そつ絶な体たん験は、松まと本さんだけのもの。どんなに言こば葉を尽つくしても、どんなに想そう像を巡めらせても、今いを生いきる私わしたちに理りい解できるはずはありません。けれど、誰だかがそれ松まと本さん、関か係者のみなさんと出であ会えたことに、心こからんし感かゃ謝します。そして、もし、かなうなら、スーパーウーマンお話はをお聞ききしてした。どういうご縁えか、家いも近ちく、父ちと同おじ昭し 和七年ね生うまれ、と、私わの息むこ子と同おじだったのです。されました。話はの中なのお母かさま、十三歳さの松まと本さん…耳みで聞きいた出で来事が、私わの頭あの中なでも、自じん分や息むこ子、娘むの顔かと重かなりながら、立り体的に立たち上あがってくるような感かく覚を覚おえました。を引ひき受うけ、どこかに、何なかに、その記きく憶の刃やを突つき立たてておかなければ、そんな思おいでこの聞きき書がき活かう動に参さか加しました。この原げう稿ができ上あがるまで、何など度か松まと本さんとお会あいしまんこたしたしなしたまたしったいてきいけつもうぜ もんにおかたれとぐまわだしたんそろえいすのぎおえそすづそがい んぼくわしちらかとごきぶすおさあかいみ となごきたききえなすないしかえんちなん んとべじしぞさぞもぶ てしか んいにもつもんけいしゃつもょうわつもつもつもうぞつど松まと本さんと、これから地ちき域で何なかできたらな、などと思おいまみだすめ自じん身の血ちの滲にむような努どく力、実じい際に血ちを吐はくくらい勉べう強したんか学がの学がゃ者を経へて教きん鞭をとり、その後ごは世せ界中を飛とび回まったと違ちいなど貴きう重なお話はもしてくださいました。聞きき書がきの合あま間いばころつもんとつも松まと本さんは本ほう当に素すき敵な女じい性で、お齢とよりずいぶんとお若わんぱ渡とい米のいきさつ、人ひとのご縁え、そこでのくらし、そしてごくしょうべゅじなしちょつもんそす。 (八坂)くて、とてもきらきらしていました。ご家かく族思おいでご自じん分のことよりご家かく族の心しい配をされるお優やしい人ひら柄です。とおっしゃっていました。ご自じん身が自みら道みを切きり拓ひき、英えん文お聞ききしました。ご主しん人との出であ会いや、欧おい米と日にん本の文ぶか化のには、松まと本さん手てく作りのおいしいチーズケーキをご馳ちう走になりました。その匂にいと賑にやかな声こに誘さわれて息むこ子さんがリビングルームに入はって来こられました。息むこ子さんとも楽たしくお話はができて、帰かる頃こにはすっかり松まと本さんファミリーのファンになっていました。これからもまだまだお元げき気で、原げく爆の恐おろしさや、戦せう争の怖こさを知しらない世せい代に、ご自じん身の体たん験を伝つょせとがりょっさずかかいじゅううべつもんきょいぶっぽなしんばいけ11
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