です。妹とは母はの怪けが我の血ちを浴あびていただけで、周まりも驚おきました。一個このおにぎりが配くられ、むさぼり食たべました。美おい味しかったことが忘われられない思おい出でです。「広ひま島の街まはすっかり焼やけてしまって、帰かる家いもないんだ。命いがあっただけでも喜よばなければね」その後ご、知しり合あいの人ひが戸と山村(現げい在の広ひま島市し沼ぬ田町)に行いくというので、一いょ緒に戸と山村に向むかいました。その晩ばに、白しいご飯はときゅうりの酢すの物もを食たべたことが印いう象に残のっています。と引ひき受うけてくださいました。その静しかな村むにも原げく爆の負ふ傷者が次つぎ々と運はび込こまれて、亡なくなっていきました。ひとつは、住すまわせてもらっている家いの息むこ子さんのこと。いもう私わしもケガはたった一ひつ、右みめ目の下しを何なかで切きった傷きだけでした。運うが強つかったのでしょうか。母はの傷きは深ふくて、ガラスの破はん片が食くい込こんでいました。取とっても取とっても、後あから後あからガラスが出でてきました。民みか家に泊とまらせてもらって、寝ねるところを与あえられました。姉あを迎むえに行いった父ちは、その後ご、私わたちを探さしに来きて、やっと会あえました。ろし父ちはそう言いうのでした。やまむら戸と山村に着つくと、村むの皆みさんのおかげで、大おきな家いの離はれに住すまわせて貰もいました。んちょ当とじ時の村そう長さんがとても親しつ切な人ひで、何なもかも無なくして、身みひとつで逃のれてきた人ひを、ちゃんやまむら戸と山村にいた時と、忘われられない思おい出でが二ふつあります。ろし息むこ子さんは広ひま島第だ二中ち学校に通かっていて、即そし死されたそうです。全ぜん員即そし死だったそうです。たしんざやまむらんせぎつんばしょうしゃゅうがっこうどろろしまたちょうのちんしょんいろこやまむらっし朗 読 者 父の声朗 読 者 39⑪⑩ちかねがくよいすくすきもたえすならおえなららずこにとうがとんろんのこちとええちかずはへととんたばすもにたぎとたずんよはわ
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