第28集 つたえてください あしたへ・・・・・・
38/50

家かく族は五人にで、父ち、母はと国こん民学がう校(現げい在の小し学校)四年ねい生の姉あ、八歳さの私わ、生うまれたばかりのもう妹いとでした。っぽ日にん本の都とし市のあちこちが、アメリカの爆ばき撃機きB29の大だ空襲でやられていました。んか家いの玄げん関には、いつでも持もち出だされるように、非ひ常用袋ぶろや頭あを守まる防ぼう空頭ずん巾などが用よい意してあはん白しいご飯ごが食たべられない時じい代でした。ご飯はの代かわりにお芋いとか、おかゆ、すいとん(だんご汁じ)だったんです。っこくみ国こん民学がう校二年ねだった私わは、近ちくの集し会所とか公こ民館のようなところで、避ひ難訓練、怪けが我の手てて当んそ戦せう争が激はしくなっていく中なで、三年ねい生以いう上の児じう童は親おと元を離はれて集しん団疎そい開をさせられたのです。うしゅ疎そい開というのは空くう襲から身みを守まるため、都とし市から地ちう方へ避ひん難することです。んせ姉あはひもじさと、寂さしさで、耐たえきれなかったようで、泣なき叫さんだそうです。父ちは姉あに言いったそうです。さはたしりました。などを習なっていました。学がう校での勉べう強はありませんでした。四年ねい生の姉あも遠とくの川かね根村む(現げい在の広ひ島県安あ芸高田市し)のお寺てへ疎そい開をしました。「家いに帰かりたい、帰かりたい。死しんでもいいから帰かりたい。連つれて帰かって!」「八月が六むか日に迎むえに行いくから、待まっていらっしゃい」八月が六むか日の朝あや早く、父ちは姉あをうちに連つれて帰かるため、疎そい開先さの川かね根村むに出でかけていきました。その日ひの朝あ、私わはまだ眠ねっていました。くみっこたしゅうかいしょっこんきょんせんざんざょうがっこうんせくげいくうしゅうじょうよううみんかんじょやもろしまけんたしうくたまなんくんれんゅうだ朗 読 者 ④③らわおねきたかたらかねちかいつえええええびねけさむえねちいつかきわらもかほなどかげなかるらかんあんだろもえくもきうはちんぞねい朗 読 者 姉の声父の声36

元のページ  ../index.html#38

このブックを見る