第28集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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みなさんに感かゃ謝藤ふい井恵けこ子町まの三丁ちめ目に移うりました。大お鳥町にいた時とでも焼し夷弾がどんうしゅ空くう襲がひどくなるので、私わたち子こどもは疎※い開したほうが良よい学がう校にあがったばかりで小ちさい私わは、父ちや母はのところに帰かり日にを過すごしていました。私わしは昭し 和十二ょうわにゅうょうば家いが商しい売していたので、国くからの強きい制買かあ上げで、竹たノ久保ょういうっこ姉あはおじさんの家いの人ひ以いう上によく働はいていました。見みていとえねちそびいねまいちはえ いうえ」え「ええんんかにも つかきろらきそょおくぼつけのつちきにえいけのくぼきいばた()んつうがまがうらくむさらぞうりかこきしろねやわかんしじい一九三七れ、七歳さの時とに入※し市被ひく爆を体たん験しました。どん落おちてきていましたが、竹たノ久保に移うってから、さらにと親おがいうので、五歳さえ上の姉あたちと、佐さが賀で農のう業をしているおじさんのところに疎そい開しました。おじさんの家いでは倉そこ庫の二階かに住すまわされました。まだ小したくて、いつも泣ないていました。そのため姉あはいつも困こって、いろいろなことをして遊あんでくれましたが、とても寂さしい毎まがさ年ね十一月がに長なき崎市しの大お鳥町で生うまいけょうせおとりまちたしそかたしじょたらおとりまちょういだんうぎょょう場じうで遊あんでいた時とに、空そが黒くくなったんですよ。なにか遠とく廊ろ下かの長ないところを拭ふかないと、学がう校に行いかせてくれなかっゅうしょく味みそ噌漬づけのようなものは、子こどもなので食たべられませんでしんとこの家いに帰かり、おじさんに「おじさん、あれ何な?」と聞きいても、てかわいそうなくらい働はいていました。おじさんが、藁わ草履を作つるための藁わ打うちを終おえないと眠ねれなかったぐらい。朝あはた。今いみたいに給き食もないし、私わのお弁べう当のおかずも魚さのあるときはいいけれど、味みそ噌に漬つけた唐と辛子の葉はっぱみたいなた。そんなんで、お弁べう当はいつも川かの中なに捨すてよったんです。ある時と、弁べう当箱ばごと捨すててしまい、走はって拾ひいに行いったこともありました。八月が九こか日はちょうど夏なす休みで、疎そい開した先さの小し学校の運うう動でピカッと光ひるものを感かじ、何なかがあったと思おって、すぐに「知しらんでいいと言いわれました。家いのことが心しい配でたらっこんとたしらしんとつやかなょうがっこうんどんぱがさ長なき崎22

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