第28集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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お話はをお聞ききして世せい界に変かわり、土つり埃が街まを覆おう。かろうじて開ひいていた右みめ目後ごは家かく族のために無むが我夢むう中で働はいて来こられたそうです。 「人じい生は奇きき跡の連れく続」とおっしゃっていた永なま間さん。に映うった長なき崎の街まは消きえていた。そして、それから始はまるいくつもの奇きき跡が永なま間さんの命いを救すってくれたのでした。もしもあの時と、伏ふせていなかったら…もしもあの時と、火ひを払はっていなければ…もしもあの時と、燃もえ残のったポケットの名なだ札と連れ絡先がなければ…もしもあの時と、口くがただれず水みを飲のむことができたなら…その奇きき跡は色いんな方かた々の親しつ切や、献け身的な看かご護のおかげもあり、終しん戦の年との年ねつ末には元げき気になられました。そして、その一日に一日にを精せ一杯生いきてみよう。それが恩おえ返しになる」と、おっしゃっていました。今こい回、お話はをおうかがいして、力ちよ強くお話はしされるお姿すや張はりのあるお声こで、毎まち日を精せ一杯生いきて、一日に一日にを大たつ切にしている様よす子がうかがえました。ているそうです。「毎まち日毎まち日を大だじ事に精せ一杯生いきると、そのなしんぞんせくれくだゅんか爆ばん弾が炸さつ裂した瞬しん間、世せい界は黄きろ色一いく色となり、そして黒くのちぼこがさうう奇きき跡の一ひつ一ひつが幸こん運をもたらせてくれました。そして、たがんまゅうせたし永なま間さんは「私わが生いきてこられたのは、多おくの人ひのおかげ。いいっぱいがたいせょうがっこう永なま間さんは小し学校で、子こどもたちに被ひく爆されたお話はをされ がばいちちうぞあももぞかにん いがたきなえさたちち がおと すきせがかぞんしろせん ととせちきずきらこきふ かいばうぼす えなばたづんがせくちつじおちからぎせが かろいがおもたきがてらなれがわえいびもいあかいたせきらいもぞいにっしょのちんせんしんてきちゅたらんがんかなしいにいいっぱいんらくさきからづいいっぱいいになし先さには素すば晴らしい奇きき跡がある。身かだ体を大だじ事に、友とだち・家かく族んしょ多おくの子こどもたちに、永なま間さんの貴きう重なお話はや思おいを伝つえてやまなしたが方かた々のお話はを、これからも後こい世に伝つえ続つけなければと改あめてちょ感かじました。貴きう重なお話は、本ほう当にありがとうございました。ょうりょく永なま間さんは奇きき跡的てに助たかり、中ち学生という若わさで、弟とさん、もういちょ妹いとさんが成せう長するまで農の作物の栽さい培に携たわり、その後ご、就しいせょくさうしゅ職しき先では優ゆう秀な成せき績を収おめられたことを村むう中の方かが喜よんでくょうがっこう永なま間さんは、小し学校の平へわ和学がう習で体た験談を語かられることがたか家かく族のために戦たってこられたお母かさんを思おって、大たつ切にしてと仲なよ良く。お母かさんを大だじ事にしてくれ」と生せと徒さんに伝つえているそうです。「きっと生せと徒さんにも響ひいていると思おいますよ」と、嬉うしそうにお話はしされていた永なま間さんの柔やらかい声こと素すき敵な笑えお顔が印いう象的てでした。お身かだ体を大たつ切に、これからもください。二度どと同おじ過あちを繰くり返かさないため、私わたちも被ひく爆された                       (木村)九二歳さというご高こい齢にも関かわらず、 被ひく爆当とじ時のことをしっかり覚おえていらっしゃって、また息むこ子さんにもいろいろとご協き力いただいたことに感かゃ謝の気きも持ちでいっぱいです。ださったそうです。あるそうです。家かく族や友とだちとも仲なよ良く、何なより戦せじ時下かをちょたしうせなしんとうれんしゅうがくせいうさくもついばずさらじゅいけんだんくしゅいせなしらたおとうゅうろこいせ20

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