第28集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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ょうしょく教き職につき、校こう長にまでなりました。私わもですが、被ひく爆者しはたぶん皆み、長ないこと自じん分の被ひく爆体たん験自じつ殺。母はも私わのことで一番ば心しい配していたのは、私わが鏡かを見みて年とと共とに肌はがつるつるになってきました。跡せがある。自じつ殺や辛ついニュースが多おいけれど、自じん分の身かだ体を大だじ事にしてくれと。友とだちと仲なよ良く、家かく族と仲なよ良く、国くと国くとにしました。給き料を仕しく送りし、一番ばた下の弟とは大だく学卒そう業後ご、を伏ふせてきていました。風ふう評被ひい害もあるし、三~四〇年ね草くき木も生はえないといわれていました。でも次つの年とには新しめ芽が出でました。女じい性は奇きい形児じが生うまれるとかで自じつ殺、ケロイドがありどう思おうかということでした。顔かが半はん分腫はれあがっていたので、夏なでもほっかむり(頬ほぶ被り)をしていました。しかし、あってはならない。毎まち日を大だじ事に過すごしてくれ。その先さに奇きも仲なよ良く、そしたら戦せう争もない。戦せじ時下かで一番ば苦くう労したのはお母かさんたちと思おいます。食う糧不ふく足の中な、生せつ活用よん品もないのに、子こどもたちの面めう倒を見みながら生いき抜ぬかれたお母かさんたちを大だじ事にして、お母かさん孝こう行をしてくれと伝つえています。ゅうりょううちょたしょせたし生せと徒さんたちの前まで話はすことがあります。戦せう争は二度どといにんそんどあいたあもあかそかんんろもいぞかにかにらさきおぶら なえいいきだもしつもおんはさけさぎしんんさが ゃばがぶばなお()(()) たえだちちいかれいらととににおとうんしうひょんぱんぶおかしょくりょうこつぎょいがいけたしがみんそいかうひ子こどもたちの「平へわ和の原げん点は強きん健な身かだ体と、人ひと人ひ、国くと国くんがいいっぱいが仲なよ良くするところに平へわ和ができる」の感かう想が嬉うしいです。ああいう時じい代を繰くり返かしてはいけん。みなさんには一日に一日にをしっかり考かえ、精せ一杯生いきてくれと伝つえたいです。西彼杵半島の西岸昭和三〇一九五五昭和三五一九六〇る。平成十七年長崎市に編入。んてょうけ角力灘沿岸年、外海村発足。年、町制施行により外海町となんそ一帯の地域。※学徒動員【がくとどういん】資料編「本文中に出てくる用語の説明」7ページ勤労動員参照※機関区【きかんく】機関車など動力車の運転、運用、整備、保守をする鉄道の現場機関。旧国鉄では管理局長の指揮下にある独立した機関であった。原爆投下による長崎機関区職員の被災者は、死者十九名、重軽傷者六七名。※B29資料編「本文中に出てくる用語の説明」15ページ参照※防空壕【ぼうくうごう】資料編「本文中に出てくる用語の説明」16ページ参照※外海【そとめ】19

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