様よす子、戦せご後の食し糧難の様よ子等を聞ききました。妹とさんは佐さ々木禎さこ子さんといいます。十一歳さの時と、白は血病を発はう症し、闘と病中治なることを願ねって、千せば羽を超こえる鶴つを折おり、お葬そき式の時と遺いん品ょう領り図と書館に送おった禎さこ子の折おった鶴つが展てじ示されています。心ころに刺ささりました。そして佐さ々木家けは家かく族同どし士がお互たいを思おでしたが祖そぼ母、母は、妹とと四人にが広ひま島で被ひく爆され、被ひく爆時じのとして配くられました。禎さこ子さんのその思おいは同ど級生たちに引ひき継つがれ、原げく爆の犠ぎい牲になった全すての子こどもたちへの慰いい霊として一九五八年ね五月が五いか日、平へわ和記きん念公こん園に『原げく爆の子この像ぞ』が建たてられました。また二〇一五年ね十一月がにトルーマン大だう統す。今いは世せい界の人ひと々が手てをさしのべていますが、当とじ時の日にん本の国こん民は誰だも助たけてくれず、傷きの治ちう療もできず飢うえながら、ただ耐たえて我がん慢するしかなかった事こを思おうと話はされる言こば葉がいやる仲なの良よい家かく族だったのだなと感かじながら、お話はを聞ききました。 (柳田)さひんか今こい回、佐さ々木雅まろ弘さんのお話はをお聞ききしました。五人に家かく族いもうょくりょうなんんばなしんそ話はを聞きいて今い戦せう争中ちうのウクライナをつい思おってしまいまとびくみぞかんこぞうがさきもまともなとすれずかまう ゅまもだくんかょしんるんついつつんねうせれべだばもんがおるきひいだきどなすうんうさき きさんぞんはばば むいすなしろしっけつびょううえりょいもううびょうちゅうっしょうしうきゅうせいんばいとっぽなし二〇二三(令和五)年三月十日エフコープ那珂川店にて 聞き手 木きら村 桂けこ子(福岡市)なぎ柳やた田さつき(福岡市)小こし林 泰やし志(エフコープ)ばや13
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