なし佐さ々木禎さこ子さんのお兄にま様のお話はをお聞ききするということんちょうようかんたた佐さ々木さんとしっかり者もの禎さこ子さんのお二ふり人の仲なつ睦まじいたかょうなしなしりょっけつびょう当とじ時、白は血病の治ちう療は輸ゆつ血しかなかったそうです。輸ゆつ血つえゅういんちゅうみだあさみだお話はをお聞ききして言こば葉に、一いき気に温あかい空くき気に包つまれました。様よす子。被ひく爆され、逃にげ惑まうお話は。戦せご後の配はう給制せど度や日にう常の様よす子。病びま魔と戦たいながらも、周しい囲への思おいやりを忘われない禎さこ子さんのお話は。そして亡なくなったあとも、みんなの心こにと禎さこ子さんをしっかり抱だきしめて、泣なくしかなかったそうでで、緊きう張と高こ揚感を覚おえての聞きき書がきでした。しかし、「何なからお話はししましょうか?何なでも質しん問してください」のおもした平へわ和のお話は。一ひつ一ひつ丁てい寧にお話はしいただきました。と血けき液パックで一〇〇ccが八〇〇円え。当とじ時の散さ髪代が一ひり人一五〇円えだったそうで、治ちう療にどれだけかかったかが、うかがえます。わがままを言いうとご両りん親を困こらせると我がん慢していた禎さこ子さんが、入に院中に一度どだけ「お父とちゃん、私わね、今い一五〇円え持もっとる。いつでもいいから、この一五〇円えで注ちゃ射して」と電でわ話をかけてきたそうです。また、ほとんど涙なを流なさなかった禎さこ子さんですが、病びん院から帰かるお母かま様がエレベーターに乗のり、扉とが閉しまる瞬しん間にポロポロと涙なを流なし、抱だきついて泣ないたそうです。お母かま様はす。禎さこ子さんが亡なくなられた後あ、お父とま様は毎まん晩裏うの川かに行いきいさなしつもいきゅなしゅういねりょょうしびらうさかむちじょころんぱつだいたしゃうしょういゅんかあさいばだらわとらのだうほんきさて がだだえが かんろがいんん もなだるままんんうと けうけだうまとといなだうもすどばうんい のきさただっとうつんなぼに だきさだんえだとここずもかん だいあかちゃばぶまついん きさんあかるやもねもまさっ ろぶいだだだ「禎さこ子丨禎さこ子丨」と呼よんでいらっしゃったそうです。さんと、支さえ見みも守るしかできなかったご両りん親のお気きも持ちを察さすると、胸むが締しめ付つけられる思おいになりました。原げく爆さえ落おとされなければ、幸しせで満みたされた親おこ子でいられたのにと思おうと、改あめて戦せう争が、原げく爆が許ゆせません。お元げき気でお過すごしの佐さ々木さんも、健けう康には不ふん安を抱かえていらっしゃいます。今いでも二カ月げに一回かは白は血球の検けさ査をされるそうです。被ひく爆者しは口くに出ださなくても、自じん分もいつかした。と尊そい敬と思おいやりが詰つまったものでした。その中なで、一番ばどうか禎さこ子さんから学まんだ思おいやりの心こ、折おり鶴づに込こめたうに…。お忙いしい中な、貴きう重なお話はを本ほう当にありがとうございました。うかお身かだ体を大たつ切に、ご活かく躍をお祈いりしております。(木村)自じん分の気きも持ちを押おし殺こして気きう丈に振ふる舞まった十二歳さの禎さこ子あわらたんそっけつびょう白は血病になるのではと不ふん安を抱かえているとおっしゃっていまんか今こい回お聞ききしたお話はは、原げく爆で亡なくなった禎さこ子さんへの愛あんけ心ころに残のった言こば葉です。「禎さこ子は神かま様から預あかった子こ。だから、天てに召めされた禎さこ子は神かま様にお返かしした」かいじゅう平へわ和への願ねいが世せ界中に広ひがっていきますように…。そして、かいじゅう世せ界中のみんなが穏おやかに幸しせに暮くらせる日ひび々が訪おれますよそがちょ佐さ々木さんは、今こご後も多た方面で活かう動予よい定があるそうです。どいせじょょうしんばんこなしんばみさみさころあわなしんとめんつどつやんばっけっきゅうとず12
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