父ちと母はに心しい配かけまいと、全ぜぶ部、自じん分の気きも持ちの中なに収おめ、痛いいとか泣なき言ごを誰だにも、一回かも言いわない。経け済的な苦くしみ母はも禎さこ子をしっかり抱だきしめて、そこで泣なくしかないんです千せ羽鶴を贈おり、その一部ぶを禎さこ子が貰もいました。「千せ羽鶴とい同どつ室のお姉ねちゃんから聞ききました。禎さこ子を抱だきながら泣ないていました。禎さこ子は私わを見みつけて「兄に手てをとり、「なんか食たべたいものはないか」と尋たねました。禎さこ子は「お父とちゃん、お茶ちづ漬けが食たべたい」と言いったんです。私わしが日にき赤の先さの食しう堂で、ご飯はを買かってこようとすると、禎さこ子を知しっているから、自じん分の治ちう療をしてとも言いわない。自じん分がわがままを言いうと、父ちと母はがどんなに苦くしむかわかっているから…。ただ一回か、禎さこ子が母はに抱だきついて泣ないたそうです。よ。八月がに名な古屋の淑しく徳高こう校の赤せ十字青せ少年団だが、日にき赤病びん院にうのは千せば羽折おったら願ねいが叶かうんよ」と父ちから教おわり、それから一いう生懸けい命折おり始はめました。八月がいっぱいで千せば羽折おったと、十月が二五日に、今きう日が山やば場と連れく絡があり病びつ室に入ると、母ははちゃん、来きてくれたんね」と言いうてくれました。父ちは禎さこ子のんぱゅくとんめっしょうしっせょくどんきただゃうだもうきやだこもずもやぶやちだや まょちつはだだい だまえごんほいてじつんきつながんちそるくだづばんらんばづる やごつん ただつちつっっしいだすばんんだははだいはちるぶぶれとたるいんはちぶかさいつちぜんだわちつゃだんんちくりょうこきじゅうじいしょうねんょうしんらたしいざいてきょういっせが「日にき赤のご飯はじゃないといらん」と言いうんです。父ちの目めば配せに、私わは日にき赤から禎さこ子の茶ちん碗を借かり、食しう堂のご飯はをそれにと言いいました。それが最さご期。十月が二五日に午ごん前九時じ五七分ふ、禎さまでの「白は血球・赤せ血球・血け色素」を書かいた一枚まのメモが出でてきました。禎さこ子はナースステーションのお留る守番をすることもあり、その時とにカルテを見みたのでしょう。何なぜ故か三月がだったと確かん信するわけですね。し、すべてのことを知しりながら、なお、親おに心しい配をさせたくないと、逆ぎに自じん分の親おを思おいやったんです。親おへの心こば配りを、という究き極の心こ。思おいやりとはすべてのものに通つじる心こがっせたしっせ移うし替かえ、持もっていくと納なく得してくれました。お茶ちを入いれ、父ちが食たべさせました。二ふち口目めを食たべ「おいしいー」と言いって、ょうし病びつ室をぐるーっとゆっくり見み回まし、「みんな、ありがとう」子こわずか十二年ねの人じい生でした。んせ禎さこ子のベッドの下しから、入にん院した二月が二一日にから七月が四よか日っけっきゅうっけっきゅう六むか日のカルテは日に本語で書かかれていて、その時じん点で白は血病くし禎さこ子はそれだけの大たう病をしながら、すべてのことを我がん慢ゃく親おより先さにしたんです。だから禎さこ子が残のしたのは、思おいやりころゅうきょくゃわょくどっとたくゅういきそいびょっけつびょうんぱころくころ10
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