第28集 つたえてください あしたへ・・・・・・
11/50

分わかりません。三みつで広ひま島駅えという戸へか坂で「今きう日は経けい済警けつ察が入はるげなよ」窓まから、ポンポン、ポンポン捨すてました。残ざん念で、歯はがゆかっけですよ。戦せう争がいかに惨みめか、戦せう争を味あわったものでしかを取とり締しまるための警けつ察です。ある時と、母はの郷さに行いき、毛もふ布や砂さう糖を米こと物ぶつ々交こん換し、汽きゃ車で帰かって来きていました。あとの声こ。持もっているものを全ぜぶ部捨すてないかんのです。捨すてないと捕つまるんです。苦くう労して持もって帰かってきているのに。母はもたですね。禎さこ子と私わは、白はい米のおにぎりが食たべられると思おったのに…。んそいさけいざ当とじ時、警けつ察の中なに経※い済警けつ察というのがあったんです。闇やち市いさうかつぶろしたしんそいさいざいさんねくまみいだもどろかえはんえさきっいょ かうきはとうしめとえふがだ だちつつつねゅは んだはちんんつつかうんしんいみくんがつまだやちさきんうかだんつちるづ だつんごたこえちかちんんせえじじ こんちい9一九五三(昭し 和二八)年ねに父ちが保ほ証人になり、借しん金が全ぜぶ部、れるようになりました。一九五四年ね十二月が、妹との禎さこ子の顎あの下しが少すし腫はれてきて、す。父ちは近きょ所の小しに児科か医いから、「佐さ々木さん、びっくりしなさんなよ。禎さこ子ちゃん、今いこの状じい態から診みると、早はければ三カ月げ、長なくとも一年ねと覚かご悟してください」と告つげられました。さらに近きょ所のお医いゃ者さんで色いろ々検けさ査して、最さご後に市しん民病びん院でも検けさ査すると、白は血球の数すち値が四三、二〇〇だったんですよ。それが一九五五年ね二月が二は十日。と、親しき戚中じうからお金かをかき集あめて反たの物を買かい、一ひん晩で母はが縫ぬい上あげました。それが有ゆい名な写しん真、和わく服姿すたの禎さこ子です。二五日にまで八カ月げ。その間か、禎さこ子の苦くしみは続つくわけですよ。っぽうちょう鉄て砲町での床とや屋の再さい開から二年ねくらい後のに、八は丁堀に三階か建だての家いを建たて、店みも繁はう盛し、裕ゆく福な生せつ活でした。しかし、ょうわ父ちにかかってきたんです。家いの中なは火ひの車く、借しん金返へい済に追おわA※BCCで検けさ査すると白※血球の数すち値が異いう常に高たかったんでょうんじんじっけっきゅう父ちと母はは禎さこ子に何なも買こうてやってない、何なとか喜よばせたいんせくじ翌よつ日の二月が二一日に、禎さこ子は日にき赤病びん院に入にん院しました。十月がいかんじょうふいかしょうにんるまいもうはっけっきゅうじょょうたろいんもうめゃしょういっせゅういっちょうぼりゃっきゃっきんさょういろことば佐々木 禎子(1955年3月)

元のページ  ../index.html#11

このブックを見る