ゅうせうしゅのちんばょくおうそころ祖そぼ母はそう言いっていましたが、当とじ時は原げく爆症しうだとは分わからなかったのです。っぽいかいほ警けい戒警けう報のサイレンとは違ちって、みんな何なのサイレンかわかりません。うてょうがっこう小し学校の校こい庭でずっと鳴なっていました。んそ後あで、あれは戦せう争が終おわったことを知しらせるサイレンだと分わかり、子こどもながらに今いまで張はり詰つめていたものがいっぺんに抜ぬけ、みんなでワーワー泣なきました。ゅうせ終しん戦の伝つえ方かは場ばょ所場ばょ所によって違ちいました。んの天てう皇陛へか下のお言こば葉、ラジオからの玉ぎん音放ほう送だったところもあります。ころ私わしの所とはサイレンでした。ゅうせ終しん戦後ごは、もう空くう襲から逃にげなくて良よいのでホッとしました。着きるものや食たべるものこそ少すなかったですが、心こが豊ゆかになっていきました。んそんば戦せう争は原げく爆で多おくの人ひの命いを奪うっただけではなく、何なげ気ない日ひび々の暮くらしをも奪うっ「あたし、何なか悪わいもの食たべさしたかね」八月が十五日に、日にん本は終しん戦を迎むえ、聞きいたことのないサイレンが鳴なりました。ていきました。(祖母の声)朗 読 者 朗 読 者 40⑬⑫たといくたばとおにばしたたしがるんうょかちつがんまと
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