第27集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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ょうわ私わしは、昭し 和十(一九三五)年ね、長なき崎県け福ふだ田村む(現げい在の長なき崎市し福ふだ田本ほち町地ちき域)に生うまつびうせんじょ父ちは三みし菱造ぞ船所で働はき、母はは農のう業をしていました。ょうがっこう小し学校に上あがった時とには、金かも持ちも貧びう乏も関かい係なく物もがない時じい代でした。通かっていました。主しく食は米こはなく、お芋いでした。たしんせ先せい生は私わたちに話はしていました。くみゅぎょうちゅういじょょうしゅ召しう集令れう状とは兵へい隊として集あめられる命め令書で、赤あい紙かに印いつ刷されていました。んせんせんせっこたしたらうぎょゅしょんせしょうしゅいたがさんざんけんぼくろいじょかがいれいしょがさんまんさゅうだうしゅいぐれました。家かく族は父ちと母は、私わを含ふめた五人に姉しい妹に祖そぼ母の八人にでした。その頃こはランドセルもなくて手てさ提げ袋ぶを下さげ、父ちが編あんでくれた藁わ草履を履はき、「国こん民のみなさんはお芋いで我がん慢しましょう」そんな日ひび々、授じ業中、先せい生に召う集令れう状が来きて赤あみ紙を渡わされました。「先せい生は今いから用よじ事があるから帰かります」そう言いう先せい生をみんなで波は止場まで見みく送りに行いったのです。その後ご、先せい生は戦せし死されたと聞ききました。ある日ひ、学がう校からの帰かり道み、海うのそばを四、五人にで集しん団下げう校していた時と、米べん軍の空くう襲朗 読 者 朗 読 者 ④③②よめもみちえんこきうまえんとばおつかみもまたなろちらぞうりちはねきのだくはちぞんまんくんんたらくい朗 読 者 (先生の声)(先生の声)35

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