ちじゅくはんげんまんにんうしゃのうんそくだがさうぶくだっしゅょうとこやじ夜よが明あけると、家かく族みんなで町まう中を歩あいて姉あを探さしました。川かの中なには、水みを求もめて来きた人ひたちが、そのまま折おり重かなって死しんでいました。いぞ牛うや馬うも内なう臓が破はつ裂して、死しんでいました。死しんだ人ひや動どつ物の臭にい、飛とび回まるハエ母はは死しんだ人ひを一ひり人ひとりめくって、姉あを探さしました。死しんだ人ひはみんな男おの人ひか女おなの人ひか分わからないほど焼やけていましたが、母はは黙だって我わが子こを探さし続つけました。十とか日ほど待まちましたが姉あは見みつからず、母はが死しにそうになったので、父ちが宮みま島の旅りうじょ館かで養よう生させました。その日ひは八月が十五日にで、戦せう争が終おわった日ひでした。たま私わしたちの頭あの上うで爆ばつ発したのが原げし子爆ばん弾という事こも、それがどんなに恐おろしく、凄すろしがさ広ひま島、長なき崎で何な万人もの人にん間だけでなく、生いき物もたちも一いん瞬で焼やき殺こされ、生いきとび残のった人ひと々も、放ほ射能という目めに見みえない悪あま魔のような病びき気に苦くしみ続つけてきたのの羽はと音は今いでも思おい出だします。とうとう母はは熱ねを出だし、髪かの毛けも抜ぬけ、おしっこに血ちが混まじるようになって動うけなくなりました。それでも、崩くれた家いの跡あで姉あの帰かりを待まち続つけました。いものなのかという事こもわからないまま、長なき崎にも爆ばん弾が落おとされました。です。朗 読 者 朗 読 者 31⑬⑫こくるづとのろんえたとそごつんちねおはちょえずとねえづみつはごとんはまがづねととはがととまおもぞるるねがととずかわされましとおわ
元のページ ../index.html#33