庭てで体たう操をしていて、背はご後から熱ねん線を受うけ、背せか中一いん面が焼やけ持もった田いか舎の人ひが私わたちに「水みを飲のみませんか」と言いうわけ洗あってもらいました。ところが、まったくの無むず傷だったのでただれて、体かの前まの部ぶん分だけ白しいシャツと黒くいブルマーがついていました。よたよた歩あいている感かじでしたが、いつのまにか群むれの中なから消きえてなくなりました。た雨あを避さけ、長ないこと橋はの下しで雨あが止やむのを待まっていました。ろまで、ずっと歩あいて行いったんですね。途とう中で、バケツをです。私わたちも水みが欲ほしく、喉のが渇かいて…。ところがね「水みを飲のんだら良よくないよ」「水みを飲のんだら倒たれるよ」「水みを飲のんだら駄だめ目」と言いわれ、飲のませてもらえませんでした。いたのです。そこで血ちまみれの赤あん坊ぼの妹とは、初はめて体かをす。母はの怪けが我の血ちを浴あびて染そまっていただけで、周まりも驚おきました。私わも怪けが我はたったひとつ、右みめ目の下し一センチのところに、硝がす子の破はん片か何なかで切きった傷きでした。蚊かや帳の中なにいたいそらだぶらつぜ突とん然、油あっぽい黒くい雨あが降ふり始はめました。そのどろっとしすむこが横よわ川から安やら村(現げ広ひま島市し安あさ佐南み区く相あた田付ふん近)というとこたしたしっこすむ安やら村の避ひ難所の学がう校に着つきました。そこは救き護所になってたしにへらずかるらおしちなしぎた らやばとはわらきかうじ ょじんなのんこらやんろょまちかんやらん るたちずおずちええずわどずとなず わちかねらきがん んいき めろじたしがめめんとますもなんじょがうるんととらか ばはぶえろろいいなへらかずんよはっせろしなみいもうちめちゅゅうごしょらだどろ傷きは深ふくて、硝がす子の破はん片が食くい込こんでいました。取とっても取とっても、後あから後あから硝がす子が出でました。っぱ姉あを迎むえに行いった父ちは、川かね根村むの駅えに降おり立たったあとしばたしろし会あえました。「広ひま島の街まはすっかり焼やけてしまい、帰かる家いものちすむころんせ沼ぬた田町ちう)の親しき戚の所とに行いくという、街まのパン屋やの向むい井さんがっし飯はときゅうりの酢すの物もを食たべたことが印いう象に残のっています。ゅうかことで、それくらいで済すんだのか、運うが強つかったのか。母はの一個このおにぎりが配くられました。むさぼり食たべました。母はは、乳ちの飲み子ご用よにもらったおにぎりも私わにくれました。おいしかったことが忘われられない思おい出でです。安やら村の避ひ難所に逃のれてきた人ひは、一いん般の民みか家に分わかれて泊とらせてもらって、寝ねるところを与あえられました。らくして、私わたちを探さしに来きたんです。安やら村の民みか家でやっとない。命いがあっただけでも喜よばなければ」と父ちは言いうのでした。安やら村の民みか家にいるときに、戸とま山村む(現げ広ひま島市し安あさ佐南み区くいたので、一いょ緒に戸とま山村むに向むかいました。その晩ばに、白しいごその後ご、戸とま山村むの村そう長さんをはじめ、村む役場の人ひのおかげで、村むの旧き 家で古ふくからある大お地主のお家うの離はれ座ざき敷に住すまたしろこんしょんちょじぬすむすむろしなみらやく18
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