誰だもいません。窓まも戸ともなくなっていました。家いの外そに出でて、頭あま、首く、顔か、腕うと傷きだらけでした。特とにむき出だしの腕うは、ザ赤あん坊ぼの妹とをしっかりと抱だいていましたが、妹とも血ちまみれで長なつ靴と防ぼ空く頭ずん巾をつけさせました。忘われません。おばけの行ぎつ列のようでした。中なでも、大おやけどになりました。そんな時とは会かん館に行いかなくても良よいことになっていたので、私わは蚊かや帳の中なで眠ねっていたのです。八時じ十五分ふ、あの原げく爆投とか下。あの大だ爆音と暗くみ闇。「あっ、死しぬ」と思おったのです。しばらくして、壊これた家いの中なを見みわ回すと、「お母かさん」と泣なき叫さびました。真まん前まの家いでも、おばさんが幼おご子を家いの下しじ敷きから〝引ひっ張ぱり出だせない〟と叫さんで、助たけを求もめていました。ふと見みると、台だろ所で下しじ敷きになっていた母はが這はい出でてきました。母はは窓ま硝がす子の破はん片が突つき刺ささり、クロのように傷きち口が開ひいていました。その痛いた々しい腕うの中なにした。母はは壊これた家いに入はると、夏な布ぶん団で妹とをくるみ、私わにぞろぞろと歩あいていました。初はめて見みたその光こい景は、今いでもをして皮ひふ膚がずれ下さがり、べろべろになった皮かを手てき先にぶらたしんばさなずぐいもうがぐ川か土どて手の道みに出でると、そこにはすでに大おい勢の人ひがぞろぞろ、いかいばくおんいどこいもうおぜょうれらやたいいもうたしうけわさうすかおかやきううるまじ ちわといえわはつとうか てんるごえこらでかしるたとたたえけすけあええ うんもわえかまむかきどれえとたるえしたつしはそ そじみるいずでおびたくでははどらへ たがとわしとこええさげて、手てを突つき出だして歩あいている姿すです。八歳さの私わには、それは濡ぬらした新し聞紙を体かに貼はり付つけたり、手てにぶら下さげたかのように見みえたのでした。よく遊あんだ土どて手の向むこうの材ざく木置おき場ばが勢いいよく燃もえ始はめ、炎ほが波なう打っているかのように見みえました。郊こい外につながる橋はに火ひが移うると渡われなくなるからと、母はは私わを急いがせ、死しにもの狂ぐいで渡わり終おえました。振ふり返かると、橋はは焼やけ落おちていました。に残のっている人ひがたくさんいました。前まの家いのおばさんが気きが狂くったように走はっている姿すも見みえました。下しじ敷きになったたのでしょう。生いきたまま焼やかれた幼おご子を家いに残のしてきたのですから。こんな地じく獄のようなことがあっていいのでしょうか。ギラギラ照てりつける炎え天下を、郊こい外へ向むかってぞろぞろ歩あいていきました。その群むれの中なに、私わたち親おこ子もいました。ふと見みると、近きょ所の中ち学生の女おの子こがいました。その子こは校こんぶのおおぜ川かに大おい勢の人ひが流なされ、死しい体が浮ういていました。向むこう岸ぎさな幼おご子をどうすることもできないまま、炎ほに追おわれて逃にげてきんじがたらだんしいもがたのおさなんかうがたしゅうがくせいんなたしきおうがたし17
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