第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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原げく爆悲かしゅんじ小おわ川淳じ 二私わしはここで戦せう争と平へわ和という題だい材で、一、〇〇〇人にぐらいの子こどもたちに話はをしました。鉄てが溶とける温おど度、溶よ鉱炉から流な直ちか下は五、〇〇〇度ど。五、〇〇〇度どでは被ひく爆した人ひは灰はも骨ほも何なもありません。私わは今いで言いうたら広※ま島大だく学工こく学部ぶですが、我われ々理りい系の学がい生 (当とじ時の広ひま島市しい内の地ちず図を指ゆさしながら)白はま島西に中町、ここが私わの自じく宅です。白はま島小し学校は、横よわ川駅えよりも東ひわ側だったと思おう。そして、爆ばん心地ちはここなんですよ。これ原げく爆ドーム。れてくる真まっ赤かな鉄ての温おど度は一、五〇〇度どですよ。爆ばん心地ちのそういう、本ほう当に生いき残のって真しつ実を語かる人にん間は私わしかいないから、だからいよいよ最さご後と思おい、聞きいていただきたいです。ろしたしくしくしんば筑ちし紫原げく爆被ひく爆者しの会かに、ふれあい通つん信というのがあります。んそなしょったし私わは九十五歳さですよ。生いき残のっている人にん間はおりません。んとたしひろし まけににもいこた こいちろしおきちろかおょいんばといね やぶいれだいたきおも ()つんっなうびこくなばんなが んつんうろつがいたん ゃいばくくいくんがんんいいいいょ6ょうがっこうこがうしいざんげんげんじいがうがしなかまちくしがしがんば隊たう長で最さご後の最さご後まで頑がば張ってくれ」ということで、「隊たう長うこくし病び院い、その隣とに輜※う重隊た、南みわ側が砲ほい兵連れい隊。軍ぐい隊ですよ、こたしれわくせんそっこうたい戦せう争に行いったり、特と攻隊に行いったりで多おくが死しにました。ょうわ昭し 和二〇うい成せ。学がと徒動どん員じゃないですよ。学がと徒戦せ闘隊十人に、「小おわ川君くがいちょくせんばちゅ第だ五師しん団司し令部のそばに火かく薬庫こがあり、その西にわ側が陸りん軍なりょうしちょんたいどお行いくには、この通とりが一番ばか近いです。両りわ側に大たく木があり真まん中なに広ひい道みがあります。いわゆる戦せゃ車でもガンガンガンガン走はれるくらい広ひい道みがある。ここを通とる時とにやられたもんでぐらいしか残のっていなかったんですよ。文ぶい系は学がと徒動どん員で皆み一九四五を命めず」という学がい生部ぶう長からの電でう報が入はり、命めい令書しを受うけ取とりに行いく途とう中で原げく爆にやられたわけです。こは。ここに軍ぐ隊通りというのがある。命めい令書しを受うけ取とりにすから、何なが飛とんできたかわかりません。爆ばう風で、私わは吹ふきいた年ね八月が一つち日付づけで、学※と徒戦せ闘隊結けんとうたいちょんぽなみがうへんたんちょうがんしんけういんとうたいがくいちょいれくぐしがんたいれいぼくふたし
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