第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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朗 読 者 朗 読 者 朗 読 者 朗 読 者 たしがさ私わは長なき崎で生うまれ育そちました。長なき崎市しは山やで囲かまれており、中ちく腹まで家いが立たち並なんでいます。なとまつびうせんじょ三みし菱造ぞ船所があり、ここで戦せん艦『武むし蔵』が造つられました。この三みし菱造ぞ船所んばくひょたしくし私わの家いは爆ばん心地ちから一・八キロの御お船蔵町です。すぐ裏うの山やには防ぼ空壕が作ついほうしゅうくうごう防ぼ空壕とは、空くう襲の際さに避ひん難するための地じん面を掘ほって作つった穴あぐらです。当とじ時、家かく族は両りん親と子こども三人にの五人に家かく族でした。たしょうな私わが長ちん男で、下しに弟おとと妹いとがいました。んば原げく爆の日ひは、とても暑あい日ひだったと覚おえています。ょうわ昭し 和二〇(一九四五)年ね八月が九こか日、アメリカの爆ばき撃機きB29が飛とんできまこのがさんかうしゅょうしとうもうつきがさうくうごうこのょうげくげゅうふうせんじょつびうくうごう一九四五年ね八月が九こか日長なき崎・・・内うの野辰たち吉さんの証しん言です。内うの野さんは当とじ時三歳さでした。また、港みち町としても知しられています。が原げく爆の目もう標となったともいわれています。られ、空くう襲警けう報が鳴なるたび、その防ぼ空壕に逃にげていました。66④③②①いつんつぼたぞうんんぞないめくなぐなふえらまちらまくらさくだまこえちつんち う
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