第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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朗 読 者 朗 読 者 朗 読 者 一九四五年ね八月が九こか日長なき崎・・・小おの野美み惠子さんの証しん言です。小おの野さんは当とそんな中な、長なき崎で生うまれた赤あんぼうの私わは、母はと二ふり人で父ちのいる台たん湾に移うり住すみました。きたんです。すると機きん関車しは私わたちが乗のっている貨かゃ車を切きり離はして、そのまま走はっていくんです。います。このがさっぽょうこゃくょうしたしがさんじゅわんいへいようたしいわたしょうげしゅんそたしいわゃくしんざんとょういわんとゅうげんてんせきんぜ時じ四歳さでした。ょうわ昭し 和十六(一九四一)年ね四月が、私わは長なき崎県け佐さ世保の早はき岐で生うまれました。同おじ年との十二月が八よか日に、日にん本軍ぐはハワイ真し珠湾を奇きう襲し、マレー半はう島に上じ陸り。アメリカとイギリスの両りく国を相あて手に、太た平洋戦せう争が始はまりました。がさんそ戦せう争がだんだん激はしくなってきた頃こ、台たん湾ではアメリカ軍ぐの戦せう闘機きによるうしじゅ機きう銃掃そゃ射にあったことがあります。貨かつ物車しに乗のっている私わたちに銃じき撃して貨かゃ車には多おくの客きが乗じゃ車していました。当とじ時の台たん湾では貨かつ物車しは運う転席を除のいて屋やね根はなく、荷にい台のようになっていました。現げい在の客きゃ車とは全ぜん然違ちたし母はが私わの手てを引ひっ張ぱって、貨かゃ車から降おろして急いいで逃にげました。草くむらに57③②①しはそさだぞがおしうもゃしゃかしなもゃろげんかかはたちついくいじんうつしなつんせんぼい つんえこう
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