第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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朗 読 者 朗 読 者 たら働はきながら定て時制の高こう校に通かい、後のに国こつ鉄の専せん門学がう校にも行いき、定てん年まで勤つめました。水みを求もめて死しんでいき、一いん瞬にして自じん分が生いきてきた証あが消きえてしまった。たしろや私わの場ばい合、城しま山国こん民学がう校を卒そう業した証あも、長なき崎商しう業学がう校に在ざき籍した証あも、ょうめ証しい明されるものがありません。生いきてきた道みべ標がないのです。んば原げく爆が落おとされた翌よつ日、誰だもが自じん分のことで精せ一杯だった。いしんぱんせうこんげっしゅっこくみつぎょしなくじくてくてかしちしるうかんもっこかしょうぎょがさっこりょんしいいっぱいいねいせかしたがらです。その後ご、船せく舶会がゃ社で雇やってもらい、貨か物船に乗のっていましたが、十七歳さの時と、門もじ司の親しき戚に養よし子に行いくことになって、船ふを降おりました。いろんなアルバイトをした後の、十九歳さで国こつ鉄の試しん験に合ごく格しました。あれから長ない年ねつ月が経たちました。あの悲ひん惨さ、おそろしさは、決けして忘われることはできません。多おくの人ひが十二歳さで家かく族を失うい、一ひり人になりましたが、よく不ふう良にならずに生いきてこられました。これも全すて、出であ会った人ひの助たけのおかげと感かゃ謝しています。そんな中な、一ひり人で途とう方にくれていた時と、声こをかけて助たけてくれた方かた々へ、きちんとお礼れを伝つえたくて、何など度か道みノ尾駅え付ふん近を訪たねました。52⑱⑰とがんたいちのおききずほとかきえすれぶべとすとぞいあとずぶっさすおとよちいせじいちいけうきいねともつせん
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