第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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朗 読 者 朗 読 者 朗 読 者 (母の声)といさきはえ③②①つりんぞなばわくついまんくくそろいしなしつにたはつえんたううんさういんつ さうょうわ昭し 和二〇(一九四五)年ね、当とじ時、私わは長なき崎市し山や里町に伯おじ父夫ふい妻の養よし子として、養よぼ母シゲと二ふり人で住すんでいました。もう伯おじ父は亡なくなっていましたが、隣とくし爆ばん心地ちから五〇〇メートル以いい内の場ばょ所です。その年との三月が、私わは城しま山国こん民っこつぎょ学がう校を卒そう業し、四月が、長なき崎市しつ立商しう業学がう校に入にく学しました。うどうりょくこのぎょ穴あ掘ほり作さう業に行いっていました。そのため、私わは直ちつ接の被ひく爆は免まれました。朝あ出でかける時との母はの声こ。このがさ長なき崎とうがさうい・・・たむ北きら村正まと人さんの証しん言です。北きら村さんは当とじ時たしがさまざとまちもうょうぎょっこゅうがういたしょうげくせょくせたむなりろやたしくみたらぬが一九四五年ね八月が九こか日十二歳さでした。の家いには、実じの母はハナと兄あ、弟おと、二ふり人の妹いとの五人にが暮くらしていました。その頃こは労ろ働力が不ふく足していて、〝学がと徒動どん員〟といって、学がい生や生せと徒にも働はくことが強しいられていました。八月が九こか日は学がと徒動どん員で、〝こしき岩い〟という小ちさな山やに、陣じち地を作つるため、しかし、家かく族六人にを亡なくしました。「いってらっしゃい」それが最さご後の言こば葉になりました。44
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