第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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朗 読 者 朗 読 者 朗 読 者 たしんば私わが原げく爆を受うけたところは爆ばん心地ちから二キロ地ちん点、火やど傷もなく、無むず傷でした。母はが黒く砂ざう糖と石せん鹸で作つった薬くで介かご護してくれました。けれども、なかなかんぜ完かん全には治なりません。歩あくこともできず寝ねたきりの生せつ活でした。ょうわ昭し 和二十二(一九四七)年ねる春、母はは姉あが勤つめている呉くの病びん院に入にん院しました。くまくえん腹ふ膜炎を起おこし、三カ月げ後ごに息いを引ひき取とりました。私わは母はの死しに目めにあわょうわ昭し 和二十二年ね、兄あが広ひま島に簡かん単な仮かの家いを建たてたので、すぐ上うの姉あと帰かりんもょがくいん女じ学院の専せん門学がう校に通かい、翌よん年の昭し 和二十三年ねに卒そう業し、四月がから中ち学がう校いきゅくしつちすりっけんはんばょうんたろしくねっこのちいかょうわょういたしつぎょぎつころつあゅういっこゅうてから米こや麦むが少すしずつ配はう給になり、命いをつないでいました。しかし、一カ月げか近く経たった頃こ、身かだ体の下か半身、特とにふくらはぎの所とに次つぎ々と蚊かに刺さされたような痕あができました。その一ひつ一ひつに深ふく膿うがたまり、それから胸むの下しに大おきなお、できができ、深ふく化かう膿していました。一カ月げま余り、ずじまいでした。原げく爆症しと、後あから聞ききましたました。39⑰⑯⑮よんつりにんええねえときつはねはとれる、、おたねのかおいくとろはとととかみらろはんしんくこぎめてけき
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