第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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朗 読 者 (母の声)(姉の声)たなんど⑭とらちつえついはづくことかぞねとら⑬がくうまずきばおょゃこせんきんせんそまたかくわろか朗 読 者 ゅうがくせいろし広ひま島湾わの沖おにある似にま島には、軍ぐの施しつ設がありました。その施しつ設が臨りじ時の救き護ご所しとなり、多おくの被ひく爆者しが運はび込こまれました。んば原げく爆投とか下から約や一週しん間、やっと探さし当あて、島しに降おり尋たねた時と、弟おとは母はや親の名なを呼よびながら、前ぜつ日に亡なくなったことを知しらされました。もうすでに焼やうそょくお言こば葉、玉ぎん音放ほう送に涙なしていました。たし私わの家かく族のように都とい会から来きたものには、食しう料は配はう給されず、闇やめ米を買かいいかてもんばのしゅうかんじいせみだかりちほんまつんいょくりょてもいきゅくもぎょのしゅうはおとうんのみごら燃もえ広ひがりやすいので、建たの物を壊こすんです。建たの物疎そい開です。作さう業をしていた中ち学生みんなは、原げく爆の光ひを直じに受うけたらしく、トラックで似にま島に送おられたことを聞きき、急いいで島しに渡わりました。かれていましたが、骨ほを一ひつだけ貰もいました。「もう二ふり人とも亡なくなったね」「もう会あえないんだね」三人にで悲かしみましたが、どうしようもなく八は本松に戻もりました。八月が十五日に、敗はん戦の日ひ、村むの人ひ全ぜん員でラジオの前まに集あまり、天てう皇陛へか下のおながら生せつ活を続つけていました。田たた畑を借かり、作さつ物を作つりました。少すし経たっ38
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