第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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仏教学者、浄土真宗本願寺派の僧者しの聞きき書がきに関かわっています」とお話はしすると、「うちの母はは長なき崎で被ひく爆したんですよ」という事こで「できればお話はをお話はしをお聞ききしてつきあいするようになったSさん。あるとき「私わは原げく爆被ひく爆お聞きかせ頂いけませんか?」という経けい緯でご本ほん人の了りい解を頂いき※櫨負け【はぜまけ】ウルシ科のハゼノキによる接触性皮膚炎。樹皮に触れた手指から前腕にかけてかぶれや湿疹を生じ、数日を経て顔や首にも広がるのが特徴。※陸軍工兵【りくぐんこうへい】陸軍において土木・建築などの技術で戦闘を支援する兵科の一種。陣地構築や道路整備・架橋などの建設ばかりでなく、爆破や地雷原敷設などの破壊工作も行う。 ※坊守【ぼうもり】本来は寺の番人の意味だが、浄土真宗では伝統的に住職の妻をさす。※川南造船所【かわなみぞうせんじょ】一九三六年創業の造船会社「川南工業」が本拠とした香焼島造船所。戦時中は戦時標準船を大量に建造した。川南工業倒産後、跡地は三菱重工業長崎造船所香焼工場となった。※花山信勝【はなやましんしょう】一八九八年―一九九五年 侶。東京大学名誉教授。一九四六年二月から巣鴨拘置所の教誨師となり、日本人で唯一、東條英機ら七人のA級戦犯、B・C級戦犯の処刑に立ち会った。ょじゅんじゅうしょ現げ住所に居きう住するようになって〝花はい大好すき人にん間〟としておがさただ いばはと なばかゃな らか こちゆいらきごとぶとあせいかんほおとい かいばなんもなばとな いぞといととんんんえるなだ話はしは一いい切しなかったという事こです。でも「いつかはこの体たん験んげんばたしなしょうかんにただました。ご高こい齢で、その日ひによって体たう調が良よかったり悪わかったりで、二年ね、三年さとお話はを聞きくチャンスが無なく、その上う、やくお話はをお聞ききする事こができました。を話はさなければ…」と思おわれながらも、きっと原げく爆被ひく爆の悲ひしょう。十二歳さという多たん感な年とろ頃に、非ひ人に間的な被ひく爆体たん験は受うけ容いれがたいものがあったでしょう。お話はをお聞ききして、八八歳さだということですが、はっきり正せく確に記きく憶されている事こにおどろきました。また、Sさんのお母かさんの死し生観の基きん本に、二〇二一(令和三)年六月二九日田川市の証言者のご自宅にて うれんが新した型コロナウイルス感か染症の流りう行などで、四年ね目めにしてようなしなし家かく族内なでお話ははされていたという事こですが、外がぶ部の人ひへおっさとまいけ惨さな経けん験を人ひえ前で話はすプレッシャーに葛かう藤がおありだったでょうんしゅっきょ浄じど土真しう宗という仏ぶう教がしっかり自じん分のものになっている事こをうか痛つん感しました。お寺てさんならではの経けん験や出で来事に、誠せん心いお誠せい意対たう応してくださったことに頭あが下さがります。聞き手 ミドリ(田川市)高たき木 中なら村 眞まみ弓 かむ斎さう藤 マまチ子(古賀市)んじろういと原はだ田 健け二郎(エフコープ)いちょなしんせんしょうゅうこっとしごんげんてきなしいかいけたま(飯塚市)いけんばいけいし29
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