第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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出だすから、長なき崎に様よす子を見みに行いってくれって何なん人も頼たんだ再さい会できたときには叔おば母や母はたちは、手てを取とって泣ないたと後あ三みし菱造ぞ船所がよく爆ばき撃されてたのが、家うから見みえてました。機きう銃掃そゃ射もしてましたよ、うちの寺てと隣との寺ての間あにお墓はが人にん間でも見みつけたのじゃろうかってね、それからすーっとあ寺てはその間かの兵へい隊さんの宿しゃ舎にもなったんですよ。故くに郷に同おたそうですよ。それまでは門もと徒の人ひにね、お金かはたくさんけど、みんな恐おろしいから行いききらんと断こられたんですよ。で聞きいたことでした。あって、そこを攻こき撃していました。ダンダンダンダンって。がっていきましたけどね。爆ばん弾が飛ひ行機のお尻しから落おちるのも何ない回も見みましたよ。戦せう争中ちうは日にん本の海か軍兵もよく来きてましたよ。三みし菱造ぞ船所のドックに入はった船ふに乗のるために、うちのじ年とろ頃の子こどもをおいてきた言いうて、よくかわいがってくれましたよ。フイリピンに行いくと言いってましたから、戦せし死されたでしょうね。がさいかがさんば長なき崎に原げく爆が落おとされるなんて夢ゆにも思おいませんでした。くげつびうせんじょうしじゅうげんげんかつびうせんじょいたしごたし私わは他ほの人ひよりも戦せう争に関かする思おい出でが多おい。私わたちはとわなりくだんそいぐんへいゅくしんそ んとかもおんなとじもづれ なとばぞんらなぶとつららか もちはとかまのあだもしちかもたたそようのねいゅほんこうきりのがたよ とかとねんださがひばんっらょうにかんに先せい生の車くが停とまっとらん日ひはないといわれたくらい病び弱でしいだ強つい」って娘むたちは言いいますよ。長なき崎から来きたことを知しらないし、聞きく人ひもいない。今こい回初はめたし乳お母日傘で育そっとったから、実じか家のお寺ての門もん前に小し児科のるまんせかいんばいしんてきずらょう知しれない病びき気を患わったことがありますよ、口くの中なに血ちの塊りがんばくしょうすめ若わい人ひに言いいたいこと、どんな環かう境にあっても生いきていくじょいけ被ひく爆体たん験は人ひには話はしません。家かく族だけ。話はをしたいといがさた。それが原げく爆を境さに強つくなって、殆ほど病びき気しなくなりました。それだけ精せ神的に鍛きえられたんでしょうね。だから生いかされて生いきてきたんだろうと思おってますよ。それでも得えい体のできたりね。原げ爆症じゃなかろうかと思おって、お医いゃ者さんにも行いきましたよ。「今いの若わい者もよりもお母かさんたちの世せい代はという気きい概を持もたんと!命いちは他ひと人から与あえられるものではないですからね。事じう情はあるでしょうけど、この世よに生うまれてきたのはよほどのご縁えがあったから。生いきたくても生いきられない人ひはいっぱいいる。自じん分で命いを絶たつなどとんでもない。つも思おってるんだけど、娘むが私わの体かを気きか遣ってたのと、誰だもて話はしました。とんんきょのちすめたしらだんぜょうじゃくょうかたまなしんか28

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