第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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皆みさんのためには都つう合がよかったんです。南なに勤つめていると話はされました。後あから、その方かは上じん官の罪つ浄じど土真しう宗のお寺てのお坊ぼさんですけれども、原げく爆のことをずっありました。戦せう争中ちう、工こん員さんたちのために、うちが宿しゃ舎になっていたこともあって、その人ひたちのために本ほう堂の前まに大おきなトイレを作つったから、被ひく爆した人ひたちを収しう容してもね、その川※み南造ぞ船所に捕ほょ虜の人ひが来きてるんですね。捕ほょ虜の虐ぎい待をした上じし司の罪つを被かった人ひがおるんですよ。終しん戦後ごにね。たまたま、その方かの奥おさんとお嬢じちゃんが被ひく爆してうちに連つれてこられたことがあって、ここに妻さし子が収しう容されているからとその方かが訪たねてこられて、母はがいろいろ話はを聞きいたら、川かをかぶって絞こ首刑になったと聞ききました。どこでその話はを聞きいたかというと、花※ま山信しう勝さんという方かをご存ぞじ知ですかね、と調しべて、全ぜく国に被ひく爆の実じい態を語かり伝つえた人ひです。うちでもその方かの講こん演がありましたね。堂どい内に入はれない人ひが窓まの外そにぶら下さがるようにして話はを聞ききにきました。その方かの話はの中なで、川かみ南造ぞ船所の絞こ首刑になった人ひのことを語かっておられました。だからね、戦せう争というのはありとあらゆるところに繋つんそかわなうせんじょょううしゅけいはなやょうんしゅんこうえわなうせんじょうしゅけいんそういょうゅうよなしんしょったうななしなとたたかたいとどとばらたたとうらたんなとみとたみずたはわとんうぞもは らちうきろたこやきてくかいきがきぞがいがきどろくたばとぶみ とりりごなばくとがわいめらちんちもうちお けとつちとえおくれゅゅくしんどゅうよゃくたゅうせょうかなしんばなしっし列れゃ車がすれ違ちうでしょ。私わたちは座するところがないからトイんちゅ崎さに進しう駐してくるのと何ない回かすれ違ちいました。長なき崎には原げく爆らか上こげ毛町まのお寺てにはね、私わたちのおばあちゃんがずっとそこんぱがってますからね。だから戦せう争は絶ぜい対にしちゃいかん。戦せう争で得とになるものは誰だもおらん。もう一ひつ余よい計なことだけれど、あれは九月がの十五日にのことだったと思おいます。私わの父ちの妹とが、築ち上郡の上こげ毛町まの大おきなお寺てに嫁よに行いっとって、そこの義ぎふ父が亡なくなって、父ちが四人にの子こどもを連つれてお葬そき式に参まりに行いったんですよ。途とう中でね、レに立たっていたんです。列れゃ車がすれ違ちう時とになると窓まに幌ほを下ろさせるんですよ。隙すま間から覗のいたら、米べん軍の進し駐兵が長なのせいで比ひ較的早はい時じき期に進し駐軍が入はったんでしょうね。まだその頃こは浦うみ上の駅えとか、人にん間の死しい体が燃もえた残のり火びがあっちこっちに立たってました。にいたんですよ。うちの母はは、原げく爆が落おちたっていうことを知ってどんなに心しい配しているだろうかと思おって、とにかく着ついても着つかなくてもいいから、家かく族全ぜん員が無ぶじ事だというハガキを投と函かしてたんですね。後あから聞きいたら、それが着ついていんそったたしいもうくじょうぐんうしたしっしんかんちゅうぐんんげたしんばんいんそちゅんちゅうへいいぐがさんば27
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