第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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全ぜん員優ゆう秀。ご両りん親は浜はち町の自じく宅にいて助たかったけど、結けく局、木きの股まには挟はまって助たかった子こをのぞいて、全ぜぶ部亡なくなりま動どん員で出てていて、どこで亡なくなったのか全まく分わからないまま私わの曾そ祖父にあたる人ひも広ひま島郊こい外のお寺ての住じ職ですが、耳みいさんとで疎そい開していたんですよ。だけどそれで全ぜぶ部やられて、六歳さの子こが一ひり人だけ助たかってね。その子こはね、爆ばう風で吹ふき飛とばされて、木きの股まには挟はまっとったところを助たけられた。疎そい開していた家かく族のうち、即そし死した方かは一ひり人か二ふり人だったけど、被ひく爆した人ひたちは総そい代さんをしていただいてることもあって、母はが皆み家うへ来きなさいといって、静せう養させて面めう倒を見みていました。その子このおじいちゃんが、『いつも坊※り守さんから養やってもらった』と感かゃ謝していましたよ。そちらの子こどもさんは、級き長の徽きう章を付つけとらん子こはいないというほどしたけどね。総そい代さんはよくお寺てに参まる人ひだったけど、「神かも仏ほもあるものか」といって、一いじ時はひどく落おち込こんでおられました。その家いの長ちょ女の方かも、疎そ開先から三みし菱兵へき器へ学がと徒です。の治ちう療のために娘むのところに滞たい在していて、治ちう療に行いく途とう中んなしなしょゅうちょうんいうしゅょうしまのまうだとけょうじういたし ふとそうらみ とんかとぞたいとたえかいいくいれうらち うんらいとみすさたんえねげはかはかとっちはたたすぎすちはとばぞかくたとたさたすすといかん つっとりかめらつこんまかすめりょうだんしさきったろしうがいざくふんどいよぼうもっきょつびゅうしょくりょちゅに亡なくなっています。病びん院が相あ生橋の近ちくということだったのですが、未いだにどこで亡なくなったのか、全まく分わからないままです。その娘むの嫁といだ寺ても、住じ職が生いき残のったほかは全ぜぶ部で、一い本足の鳥とい居がある山さう王神じゃ社の近ちくにお嫁よい入りして、二、三日におきぐらいにうちの実じか家へ来てました。母はを慕しっていたものだから、母はもかわいがっていて、赤あちゃんが生うまれた後あも、その子こをおんぶして来きておりました。なのに原げく爆の日ひにかったのに」と、母はは嘆ないていました。山さう王神じゃ社の近ちくだから家いもない、骨ほもない。のお坊ぼさんは誰だもお参まりには行いってなかった。お寺てによってはね、お参まりに行いってそこで亡なくなった人ひもいます。それもて造ぞ船所がありましたけどね、三みし菱の他ほにもう一ひつ造ぞ船所がすめ亡なくなっています。たし私わの実じか家のお手てだ伝いさんがね、ずっとよくしてくれた人ひっぽんあし限かって来こなかったんですよ。「あの日ひにも来きていたら命いは助たらか檀だか家が浦うみ上の方ほにたくさんありましたけど、その日ひはうちころ家かく族のようで心こが痛いみますよね。たしんしょ私わが一ひつ印いう象にあるのがね、ご存ぞじ知かどうか、川かみ南といっうせんじょょういいおいばしゅうしょくんのんじつびったんばのちんのんじわなうせんじょ26

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