第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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家かく族用よは別べにありましたけど、みんなと一いょ緒の方ほが怖こくない覚おえていますよ。幸さいそれはなかったからですね。私わたちの女じ学校があった場ばょ所は、今い、桜さ馬場中ち学校になっもそのまんま引ひき取とり手てのない無む縁仏も二、三体たぐらいあったと思おいますが、実じか家で預あかっています。避ひ難所があっても、たまたま見みつからない方かもいますね。な避ひん難していて、そこで一ひん晩過すごしたように覚おえています。しね。その時と、食たべたものまで覚おえています。寺ての門も番所があって、そこのおばさんが担かぎ屋やみたいな商しい売で、割わと食う料は手てに入はり易やいので、いりことかご飯はとからっきょ漬づけとかを壕ごの中なで分わけて食たべました。原げく爆の落おちた夜よはね、長なき崎はすり鉢ばう状の底そみたいなところですから、逃にげ場ばがないんですよ。今こん晩、焼しい夷弾だで焼やき討うちにされるというようなデマが飛とんで、どこへ逃にげる?とみんながそういう話はをしていたのをていますが、出しう校日びで登とう校した人ひの中なにはケガをした人ひもおりましたよ。市しの中ちん心には西にま山という山やがあって、爆ばん心地ちからすると、山やがあったから被ひい害が少すなかったんだろうと人ひがいだうくうごう寺ての境けい内に大おきな防ぼ空壕が掘ほってあって、町ちい内の方かがみんちじょょうんばいわたしょがっこうゅっこゅうしえんぼとけとばっしんばなしくらうこしや話はしよりました。大だい体は向むこう(米べん軍)の目もう標は三みし菱造ぞ船所じょょうな校こに行いっててね、広ひま島を通とって帰かって来きてるんですよ。その人ひが「どうも広ひま島の爆ばん弾の状じい態と長なき崎は同おじような気きがする」んばんしょしょくりょょうばがさ作さう業していて、やっぱり背せか中一いん面を火やど傷していました。私わが仲な良よくしていたお友とだちも、自じく宅は市しい内だったけど別べく宅が爆ば心し地ちの所とにあって、即そし死はしなかったけれども、原げく爆が落おち思おい出だすといって、お母かさんから形かみ見に服ふを三、四枚まもらいゅうがっこうくし別べく宅を設もけて、そこにお婆ばちゃんと子こどもたち六人にとお手てだ伝がその目もう標だったので、そこに落おちとれば我われ々、今いいませんよね。と言いってましたね。お寺てはみなさんがよく集あまるので、いろんな話はが出でたことを記きく憶してます。てから一週しん間で亡なくなりました。私わを見みるとけいこちゃんをました。一ひ人娘だったんです。それから、うちの総そい代さんが、お店みは浜はち町の繁は華街で呉ごく服いたくひょ実じか家のお手てだ伝いをしてくださる人ひの息むこ子さんが、大おか阪の学がろしろしなし実じか家から五、六分ぷの所とにある磨とや屋国こん民学がう校の先せい生が、外そでぎょころゅうかとりむすめ屋やさんをなさってたけど、やっぱり街まか中が危あないって言いってったいぐくだょうたがさころくみちめたしうだまのまちなうせんじょくひょつびれわおさっこんせたしったんばまぶとかと せんかがいふ しまばばぼあもたくいんこくんもかたなくがまくとあうんつた おらた つっとすっなぼおうえずっもなんまいなかうるすいんつりきぼらつうぞうわおらつとな んっぎとなけ25

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