第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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思おい、今こい回の聞きき書がき活かう動に参さか加しました。民みを守まる法ほつ律は、過かこ去の戦せう争をきっかけにできている部ぶん分が定てするものではなく、大おな人になってからでも遅おくはなく、何な歳さからという規きい定もなく、思おい立たって、何なかきっかけがあっ取とった過かこ去の歴れし史、思おいや願ねいを、平へわ和のバトンとして繋つげ私わは、初はめてこのように対たん面形けき式で、直ちつ接、戦せう争を体たん験しあると思おいます。そして、社しい会の構こ成員である私わたち一ひり人ひとりは、その過かこ去を知しる義ぎむ務があります。それは、時じき期を限げた時とこそが知しるときではないかなと、この活かう動に携たわって感かじました。ていく活かう動がしたいです。そのために私わたちは、戦せう争を知しるきっかけ、考かえるきっかけを、今こご後作つっていくべきではないかと強つく感かじました。 (山下)た方かのお話はを聞きかせていただきました。私わのような若わい世せい代は、戦せう争の歴れし史を教き科書によって時じ系列で学まんでいきます。いつ終おわるのか、次つに何なが起おこるのか、分わかっている状じい態です。しかし、戦せう争を体たん験された方かた々は、今い、何なが起おこっているのか、いつまでこのような状じい態が続つくのか分わからないまま、んかんがんげ人にん間の価かち値観かや考かえ方か、幸しせを支さえる根こょ拠となっている国こうり今こご後は、聞きき書がきに参さか加して、実じい際に自じん分自じん身の耳みで受うけつどんがたしなしんそょうかしょいけんそつどあわんきんそゃかうせいいんっさたしいめいしょくせたしたがづまににぎ じたかだきけいれつなんよんく んんぶしみきんもていにといそんがもきいな むいなぎだただおきたいんうそまとんもとれもん とおおとばもん たんさくもんぶしかかもがざっうかょうたたしつどずさんそんそいけょうた必ひし死で生いき抜ぬかれていました。その様よす子が、話はを聞きく時じん間が長なくなるほど、重おく、深ふく、私わの心こに刻きまれていきました。ちょんとんそ戦せう争は多おくの人ひを巻まき込こみ、多おくの人ひの幸しせを奪うっていく、良よいことなど一ひつもない残ざく酷なものだと心こから感かじました。うね数すん年後ご、数す十年ね後ご、もしかすると戦せう争の恐おろしさを甘あく見みてんそかそこのような貴きう重なお話はを直ちつ接、丁てい寧に教おえていただける機きい会に立たち会あえて本ほう当に嬉うしく思おいました。いる政せじ治家かたちが戦せう争をしようと言いい出だすかもしれません。そのような時と、つらい記きく憶でありながら私わたちに伝つえてくれたことを無むだ駄にしないように、私わたちの世せい代が発はん言していき、二度どと戦せう争が起おこらないように次つの世せい代へ語かり継ついでいきたいです。 (木下)二〇二〇(令和二)年八月四日福岡市早良区の大原公民館にて 聞き手 たしころなしょくせいねんこんそたしたし山やた下 莉りな奈(筑紫女学園大学四年)まし木きた下 七なみ海(筑紫女学園大学二年)のし木きら村 桂けこ子(福岡市) なしあわころつげ20
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