第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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戦せう争のない平へわ和がずっとずっと続つきますようにまぐ山やち口早さえ苗私わは、昭し 和十(一九三五)年ね、長なき崎県け福ふだ田村む(現げい在の長なき崎市し福ふだ田本ほち町地ちき域)に生うまれました。家かく族は、私わを含ふめた五人に姉しい妹に三みし菱造ぞん船で働はく父ち、百ひ姓をしている母は、そして祖そぼ母のょうちゅう業ぎ中、先せい生に召う集命めい令が来きて赤あみ紙を渡わされました。今いから用よ事じがあるからと帰かる先せい生を、みんなで波は止場まで見みく送りに行い八人にでした。その頃こはランドセルもなくて手てさ提げ袋ぶを下さげ、父ちが編あんでくれた藁わ草ぞり履をはき、学がう校に行いっていました。学がう校に行いくのが嬉うしくって、ワイワイ言いっていました。ない時じい代でした。主しく食はお芋いでした。先せい生は私わたちに「国こん民のみなさんはお芋いで我がん慢しましょう」と言いっていました。授じきました。その後ご、この先せい生は戦せし死されたと聞ききました。たしょうわんまたらつびうせょうがっこう小し学校に上あがった時とには、お金かも持ちも貧びう乏も関かい係なく物もがゅしょいれんせしょうしゅんせっこ学がう校からの帰かり道み、右みわ側が海う、左ひわ側が墓ぼち地の国こう道を四、五 ちえみんえとばおたまうまもゅもだもわぼとにまとにき きかもなくた うばいき きねのいいれわしわきわん ろちうらちまは んんくらいくぞくんつきうこみかとがまとしこしきこんし いそんづな がさゃくしょうくろっこんぼんせかがんせぎがだりがんざがさたしっこんけくみたしくどクが見みえる飛ひ行機が、松まの木きなどでカモフラージュしていたす。ただ、ひとかたまりになってみんなで泣ないていました。そして、牛う小ごや屋に焼し夷弾が当あたり、私わたちの横よを逃にげた牛うがさは、いつもの空くう襲の二倍ばも三倍ばもでした。ドカンと何なかが落おちた音おが聞きこえました。「今いの音おは何なかな?ゅうだ人にで集しん団下げう校していた時と、米べん軍に空くう襲されました。星ほのマーんかょういだん軍ぐん艦めがけて焼し夷弾を落おとしました。海うの中なでシューと音おを立たててすごかったです。流なれ弾だで怪けが我した人ひはいなかったでょういだんんと何なう頭も走はっていったのは、怖こくって、怖こくって、その時との怖こうしゅたし私わが被ひく爆したのは、当とじ時の国こん民学がう校四年ねい生、九歳さの時とです。くしんば原げく爆の爆ばん心地ちから約や四キロ離はれた自じく宅で、妹とたちと洗せ濯物を干ほしている時とのことです。んば原げく爆が落おとされた時と、一いん瞬ピカっと光ひったと思おう間まもなく、みな雷かりではないな」と思おいながら、とても怖こかったのを覚おえていぐうしゅたしくみっこんせっしゅんたくものいもう16

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