第26集 つたえてください あしたへ・・・・・・
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爆ばの語かり部べとしてのボランティア三〇年ね、と自みらを紹しい介して月が六むか日からの救きょ助活かう動なんてあり得えない。乾かパンやにぎり飯めなど支し給きうされたなんてウソ!!救きょ助できる人にん間もいない。焼や野原だったのだから、と。んじょ感かう情も空かっぽで死しい体を焼やく任にむ務をされた、と。よく命いをつなお話はしをお聞ききしてくださいました。中ち学校や様さま々なところで活かう動されている九五歳さの方か。 「本ほう当の被ひく爆の体たん験と違ちう証しん言がある。当と事者でないので『…だったそうです』という話はでは、本ほう当に被ひく爆したものからの証しん言にはならない」「事じつ実を伝つえたい」「そういう人にん間は(多おく)いない」だから伝つえておかなければ、という強つい思おいをもたれ、エフコープへご自じん身で連れく絡されたとのことでした。いでくださったなあと思おいます。 「皆みさん広ひま島の川かを渡わる時と、どうぞ祈いってください。そこには行ゆえ方不ふい明になっている多おくの人ひたちが眠ねっています」と、ょうげ証しん言してくださった小おわ川さんは、終しん戦後ご、仕しと事五〇年ね、原げゅうがっこういけんとょうげいさゅうへ被ひく爆地ち周しん辺に警けつ察も軍ぐい隊もあったが全ぜつ滅、この状じい態で八つどゅうじょうきょう周まりは惨さたんたる状じ況の中な、自じん身も被ひく爆で全ぜん身傷きだらけ。ろしきたわなのおめくとむかとこがたもらはのけんたら かんわしばず ばゅしいつん たまがもとばえもたなたもなもにべし にとおたおよもいたじたばがばうじしゃもえゃばういほよくかんな がごんんたくん いくかんんおもかえこらんんつちゅうせまざょうげんとなしんらんたんめゅうじょうかずかつどんげょうたんげんしのち腹はの底そからの声こで手てを合あわせながら、何など度も私わたちに言いわれころじゅいはっけ作つること、実じん験、開かつ発、使しう用とおどしに使つうことが禁きし止されくこ爆ばく国で、被ひく爆者したちの二度どと原げく爆投とか下というあやまちをくり返かさないで、という思おいも充じん分わかっているはず。なぜなのがさろしんじょ広ひま島・長なき崎の惨さう状を知しらない国く・人ひが多おいことにもがっかっさ私わしたちも学まび伝つえる努どく力をしていかなければと思おいます。小おわ川様さの伝つえなければという思おいがその言こば葉に満みち満みちたしんじょんば超こえています。「原げく爆の被ひい害の実じい態は語かり尽つくせない」とのころ言こば葉も深ふく心こに残のっています。たそのことばが心この中なにうず巻まいています。二〇二〇年ね、世せい界は核か兵へき器禁きし止条じく約を多おくの人ひと々の思おいから批ひん准されて、二〇二一年ね一月が二二日にに発はう効されましたね。たのです。しかし日にん本政せふ府は批ひん准しませんでした。唯ゆつ一の被ひでしょう。りします。実じい際を全すての国くのリーダーたちに見みにきてもらいたい、学まんでほしいです。きっと考かえが変かわると思おいます。て、被ひく爆の惨さう状を私わたちの目めの前まに思おい起おこさせてくれました。けれども、その目めで見みた光こい景は私わたちの想そう像をはるかにょうやじゅんばゅうぶんがりょうけたしったたしとびっこいいうぞ(渥美)12
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