博多湾に浮かぶ、周囲11キロの小さな島、志賀島。
周知のように、1784年、『漢委奴国王』(かんのなのわのこくおう)としるされた金印が発見された島です。
大都市のすぐ近くにありながら、国定公園に指定される透明度の高いビーチや、玄界灘の豊かな海の幸、博多湾を見渡せる絶景を有し、休日には、自然とのふれあいを求め多くの観光客が訪れます。魚介類はもちろん、ワカメなどの海藻類やサザエも豊富で、取材の途中で通りかかった工場では、ふぐやあじの一夜干しの準備をしていました。
トラックが走る志賀島橋の下には砂州が広がっています。ここは「海の中道」と呼ばれ、本土と陸続きになっている全国でも珍しい場所のひとつです。もとは島と本土の間に水路があったそうですが、昭和7年、志賀島橋がかけられた後に橋脚に砂が堆積して、現在のように陸続きになりました。しかし、道の両側には海が広がり、まるで海の上を走っているような錯覚さえ覚えてしまいそうです。
島は古代から海上交通の要所とされ、東南にある志賀海神社は海上守護の神様として信仰されてきました。ここの境内には雌雄の鹿の像と、一万本以上の鹿の角が奉納される「鹿角庫(ろくかくこ)」が建っています。江戸時代までは鹿がたくさんいたといわれ、鹿狩の際、その角が奉納されました。なるほど、鹿がいた島で「志賀島」になったのかと考えてしまいますがさにあらず、「近い島」が「チカシマ」「シカシマ」「シカノシマ」と訛ったものが語源なのだそうです。(※神社の看板にありました)
島のほぼ中央に位置する「潮見公園」の展望台からは、玄界灘に浮かぶ島々や福岡の町並みを見渡すことができます。写真ではわかりにくいですが、海の中道の奥に丸く光るのがヤフードーム、その右側にうっすらと立つのは福岡タワー。また、博多湾を行き交う船など、360度の景観が広がります。
展望台の下には、ひとつの万葉歌碑が建っていました。この志賀島は万葉集に多く歌われた歴史ある「歌垣」で、歌碑が島内のいたるところに置かれています。これらの歌を追いながら古代に思いをはせるのも、またひとつの志賀島の楽しみ方でしょうか。
波が穏やかなビーチの砂州を渡った島の東側の海岸には、写真のような磯場が広がります。りんごマークのトラックはこちらへ曲がり、海岸沿いを反時計回りで配達へ。「このへん夏場は車が増えて、時間がかかることもありますね。でも、海岸沿いは走っていて本当に気持ちがいいんです」と話すのは担当スタッフ。ここは昼に支所に戻らない一日コースなので、苦労するのはお昼の休憩場所探しなのだとか。「スタッフ誰もが同じだと思いますけど、日に当たる場所にトラックを置けないんですよ。日に灼かれた荷台の商品が気になって休憩どころじゃないですから(笑)。」
実は、この配達のメインルートである島の外周をぐるりとまわる県道は、2006年10月まで一部封鎖され通行できない区間がありました。福岡の地と人々に大きな傷あとを残し、まだ記憶に新しい、2005年3月20日の福岡県西方沖地震。震源地に近い志賀島でも、住宅や神社などが損傷、そして崖崩れや路面の亀裂によって東側の道路が通行止めとなったのです。そのため、長い間、通常の配達コースを通ることができず、回り道をしながら組合員さんのもとへ商品をお届けしていました。復旧してもなお、地震の影響で緩んだ地盤は、台風などの大雨を受けてはまたがけ崩れを引き起こし、一部の道路が通行止めとなることもたびたびあったそうです。
そんな災害や、季節の事情によって一番不便を被るのは、その地域の方々。そこに暮らしに欠かせない様々な商品を求める組合員家族がいる限り、いつも迅速・安全なお届けをしたい。夏の強烈な日差しのなか、今日もエフコープのトラックは、いろんなところでぐるぐる走り回っています。
福岡県の隅々まで、りんごマークのトラックでぐるぐる走り、組合員の玄関先にまで食卓の安全・安心をお届けしているエフコープ。このコーナーでは、月替わりで、その時期「福岡」を象徴する風景のなかにある「エフコープ」をご紹介していきます。




